2005年07月31日

暑(;==)

今日で7月も終わりですが、連日の蒸し暑さでいささかバテ気味です。エアコンあるだけよほどましですが、そのせいで夏風邪気味でもあったりします。

単に暑いのはよいとしても、「蒸し暑い」のは何とかならんのかと毎年思う日本の夏です。
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2005年07月24日

Firefoxでスクラップ

参考までに、Firefoxで「紙」のようなwebスクラップをするためのソフト(プラグイン)をいくつか挙げてみます。

■ScrapBook(拡張機能/フリーウェア)
Firefoxの拡張機能(プラグイン)の一つで、インストールすれば「紙」のように右クリックやドラッグ&ドロップでページや画像を取り込めるようになります。取り込んだファイルはサイドバーに表示され、フォルダで管理も出来ます。また取り込んだページは右下の「EDIT」ボタンを押すと、マーカー(4色)を塗ったり、不要な部分を消したり出来るなど、簡易編集が可能になります。「紙」は「紙copi」でないとHTMLの簡易編集は出来ないので、この点は優れていると思います。またOperaのようなメモ機能もあり、サイドバーのアイコン(「新しいノート」)をクリックすると、サイドバーにメモを入力するためのペインが現れます。作ったノートはブラウザ上で開いて編集することも可能です。

・公式サイト:ScrapBook - Firefox Extension
(注)上記の公式サイトですが、数日前まではアクセスできたのですが、現在はアクセスすることができません(プロバイダのアナウンスでは一時停止扱いになっています)。ファイルの最新版は「ScrapBook 0.15.5」 ですが、Internet Archive経由で「同0.9」をダウンロードできます。
(7/25)現在は閲覧可能です。

■BMemo(プラグイン/シェアウェア)
高性能メーラー「Becky! ver2」用プラグイン。「紙」や「ScrapBook」のように「Becky!」にWebページを取り込む(指定フォルダにHTMLメールとして保存する)機能などを追加するというものですが、IEだけでなくFirefoxにも対応しているのが特徴です。「Becky!」はシェアウェアながら人気の高いメーラーの一つですが、長年使っていながらこんなプラグインがあったとは知りませんでした。ただし、当然ながら「Becky! ver2」が必要です。

・公式サイト:[m & g]
・「Becky! ver2」の入手は「RimArts - Software Laboratory」を参照


ちなみにOperaの場合は「WeBox」を使えば右クリックでWebページを取り込めるようになるようですが(設定ファイルをカスタマイズする必要あり)、私の環境では「WeBox」の描画が今ひとつで、結局アンインストールしてしまいました。またこれはOpera7での話なので、最新版での挙動は不明です。ちなみに「紙」でも設定ファイルをカスタマイズして試したことがありますが、新規ファイルが立ち上がるだけで、取り込みは無理でした。
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2005年07月23日

紙2001/webスクラップ(2)非IEブラウザとの連携

以前「紙2001」について紹介した記事の中で、少しFirefoxやOperaとの連携について書いたことがあるが、改めてWebページなどの取り込み実験をしてみた。これはそのメモである。

■Firefox(1.0.4)
webページは、IEと比較してかなり制約されるものの、一応取り込める。以下にその制限(と思われるもの)を挙げる。

・画像の取り込み
画像の取り込みはかなり不安定で、取り込めたページもあるが、取り込めなかったページもあり、その差は不明。また、ドラッグ&ドロップで取り込み窓へ直接画像を取り込もうとすると、一見取り込めたように見えるが、「紙」を見ると実際はファイル名以外取り込めていないことが分かる。プロパティを見ると情報量はゼロ。古いアプリケーションでgifやjpegなどの画像ファイル形式に対応していない場合、例えばgifファイルをアプリケーションウィンドウへ向かってドラッグ&ドロップすると、ファイル名だけが画面上に小さく表示されることがあるが、それと似た現象かと思われる。なお画像がリンク化されている場合は、取り込み後にその画像をクリックしてIEなどで開き、再度取り込んだページを「紙」で開きなおす(別のファイルに移動してから戻る、など)と、画像を見ることができる。

・ドラック&ドロップでの取り込み
以前書いたとおり、選択箇所を取り込み窓へドラッグ&ドロップしても取り込みは出来るのだが、選択箇所に画像が含まれている場合は取り込めない場合がある。むしろショートカット(Shift+Ctrl+G)での取り込みのほうが取り込み率は良いと思われるが、絶対ではない。

・取り込み後の書式・レイアウト等
取り込んだページの背景は全て白くなる。そのため元のページのテキスト色が白いと、背景色と同化してしまう。また全て選択した状態での取り込みは、レイアウトがほぼ正しく反映されるが、部分選択しての取り込みでは、配置が正しく再現されないことがある。

・スタンプ
「紙」には取り込んだページのタイトル・日時・URLをスタンプする機能があるが、FirefoxからHTML形式で取り込むと、タイトルはスタンプされず、なぜかURLは「その他の画像」とスタンプされる。ソースを見るとタイトルだけがスタンプされており、元のページのURLは取り込まれていないことが分かる。またテキスト形式では、日時以外はスタンプされず、空白になる。

■Opera(7.53)
以前も書いたとおり、OperaはOLEドラック&ドロップに対応していないため、基本的にwebページの取り込みは出来ない。ショートカットで取り込もうとしても、「紙」を見るとなぜか先に取り込んだページのHTMLタグなしのテキストが張り込まれてしまう(タイトルだけは該当ページのもの)。テキストだけならば、ショートカット(Shift+Ctrl+T)を使えば取り込みは出来る。ただしタイトル等のスタンプは、Firefoxの時同様、日時だけになる。
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2005年07月22日

認識と言語の理論 III(第三部):目次

1972(昭和47) 年11月、勁草書房より出版された『認識と言語の理論』三部作の最終巻。第一・二部(1967)が連続性のある体系的な著作であったのに対し、第三部は独立の論文集という構成が採られているが、その理由が「まえがき」に説明されているので一部抜粋して紹介したい。

(前略)私が『認識と言語の理論』(一九六七年)で、紙数の半分を <第一部> として認識論の叙述にあてたのは、科学の名に値する言語理論を建設するために、また欧米の最新流行として輸入販売されるであろう諸理論を吟味するために、欠くことのできぬものと考えたからであった。(中略)とはいえ認識論の叙述に多くの紙数をさけば、言語理論の叙述にあてる紙数がそれだけ少くなって、言語の提起している多面的な諸問題を充分に論じることができなくなる。そこで <第二部> では、未展開のままにとどめた問題やとりあげることを避けた問題が少くなかった。これら諸問題については、その後独立の論文の形式で手元に書きためて来たが、その中のわずかを公けにできたにすぎない。このたび論文の大部分を一冊にまとめることになったので、私も長年の負債を返済できるような気持である。

本書は前著とちがって、独立の論文を集めたかたちをとっているけれども、内容の性格からいうなら前著に欠けた部分を補うものであるから、前著の補遺の意味で <第三部> と名づけることにした。(以下略)


まえがき

言語における文法と規範
一 <文法> とは何か
二 規範の矛盾と <文法> 構造
三 規範による言語の形態転換
四 言語における物神崇拝

<映画言語>説批判
一 <映画言語> 説の出現と流行
二 映画は「広義の言語」ではない
三 弁証法は言語の謎を解く

「二重霊魂」説の系譜

語の分類について
一 山田孝雄は西欧模倣に反対する
二 時枝誠記は客観主義に反対する
三 <体言><用言>とは何をさすか

日本語の「裸体的」性格
一 単語の認定における形式主義
二 大槻文彦と山田孝雄の <てにをは> 論  
三 大槻文彦と山田孝雄の <動詞> 論
四 <代名詞> と時の表現の「裸体的」性格
五 日本語における <敬語> の特質
六 形式主義のもたらす断絶発想
七 <動詞> <形容詞> が体言化する場合の内容jについて
八 <形容動詞> 説の改悪

追体験による表現の展開――<感動詞> と <接続詞> の吟味――
一 言語観の「大づかみ」の正しさについて
二 応答諾否の語の特殊性について
三 <接続詞> をどう理解するか
四 時枝の説明の再検討
五 <接続助詞> と <接続詞> との連関
六 庄司和晃の「キッカケことば」論

助詞「は」の金田一的解釈

句読法と会話の表現
一 句読法と入子型構成
二 括弧、長線、点線、無表現的表現
三 日本語の性格と句読法

文章における冒頭と段落
一 文法から文章法へ
二 文章は観念的な建築である
三 冒頭および本文外冒頭
四 冒頭と段落との関係
五 冒頭と段落との相対性

評論・論文・評論的論文
一 「知的散文」をどう分類するか
二 <評論> の構成について
三 <論文> の構成について
四 <評論的論文> の構成について
五 日常生活の用語と学術用語

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2005年07月19日

認識と言語の理論 II(第二部):目次


第二部 言語の理論
  第一章 認識から表現へ
    一 表現――精神の物質的な模像
    二 形式と内容との統一
    三 ベリンスキイ=蔵原理論
    四 対象内容説・認識内容説・鑑賞者認識内容説
    五 言語学者の内容論
    六 吉本と中井の内容論
    七 記号論理学・論理実証主義・意味論
  第二章 言語表現の二重性
    一 客体的表現と主体的表現
    二 記号における模写
    三 小林と時枝との論争
    四 言語における「一般化」
    五 概念の要求する矛盾
    六 言語表現と非言語表現との統一
  第三章 言語表現の過程的構造(その一)
    一 身ぶり言語先行説
    二 身ぶりと身ぶり言語との混同
    三 言語発展の論理
    四 「内語」説と第二信号系理論
    五 音声と音韻
    六 音声言語と文字言語との関係
    七 言語のリズム
  第四章 言語表現の過程的構造(その二)
    一 日本語の特徴
    二 「てにをは」研究の問題
    三 係助詞をどう理解するか
    四 判断と助詞との関係
    五 主体的表現の累加
    六 時制における認識構造
    七 懸詞、比喩、命令
    八 代名詞の認識構造
    九 第一人称――自己対象化の表現
  第五章 言語と文学
    一 作者に導かれる読者の「旅行」
    二 言語媒材説と芸術認識説
    三 鑑賞の表現としての俳句の構造
    四 文体と個性
    五 芸術アジ・プロ説――政治的実用主義
    六 生活綴方運動と「たいなあ」方式
    七 上部構造論争――芸術の価値の基礎はどこにあるか
    八 本多の「人類学的等価」とマルクスのギリシァ芸術論
  第六章 言語改革をめぐって

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2005年07月14日

戯言:ニートと靖国

某ニート

「僕は働いたら負けかな、と思っている。」

小泉・安倍その他多数の右翼・国粋主義者の方々

「僕(ら)は(靖国参拝を)やめたら(中国・韓国に)負けかな、と思っている。」

・・・(==;)・・・

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2005年07月09日

最近のトラックバックから

■このブログにも、まれにですがトラックバックをいただいています。サイドバーに履歴を表示していないのは、数が少なくかつ直接ブログの内容に言及していないものも多かったので、別に表示しなくてもいいか(^^;)という単にそれだけのことです。ただ最近いただいたトラックバックは、興味深いものがありましたので、お礼を兼ねてご紹介したく思います。

寄筆一元修行日誌:三浦つとむ『人生――人間のありかたと生きかた』(講談社ミリオン・ブックス)(トラックバック先・人生:目次)

塾講師をしていらっしゃる寄筆一元さんの投稿(ブログ)から。トラックバックに加え、ここがリンクつきで紹介されています。

三浦つとむ『人生――人間のありかたと生きかた』(講談社ミリオン・ブックス)を古本屋で発見して読んだ。わりと初期の著作であるが、読んでいる間は「流石三浦つとむ!」と唸りっぱなしであった。目次は「Logic Board ―どう考えるのが正しいか」で紹介されている。


非常に勉強されていらっしゃる方のようで、三浦つとむや滝村隆一関連の著作もかなり所蔵されていらっしゃるようです。この投稿では、三浦つとむの主張を絡めた形で学習論や実学論、また認識論に関わる内容も含まれています。実学論に関しては、私とはまた違った形で展開されていたので興味深く思えました。ただ認識論の記述に関しては、「五感情像」など南恷≠フ著作に基づくと思われる述語が使われており、分かりやすく書かれてはいますが、読者側で少し予備知識が必要かもしれません。

癒し櫻:弁証法について(トラックバック先・メモ:弁証法(『西洋科学史T』より))

卒論のテーマが「弁証法」であるという「まとぅい〜」さんの投稿(ブログ)です。卒論レベルだと材料集めも執筆もかなり大変そうですが、頑張っていただきたいものです。

まとぅい〜さんの投稿では、形式論理学と弁証法とが対比される形で書かれており、短文ながらよくまとまっていると思います。ただゼノンの詭弁の一つである「飛んでいる矢は止まっている」に関するコメントは少し気になりました。

古代ギリシャ哲学者のゼノンなんて「飛んでいる矢は不動である」とかいう意味の分からないことをいっていますが、これは「運動は矛盾である」といっているのと同じですが、これは運動が矛盾なのではなくて、運動を認識する際に認識する側に矛盾があるわけです。


三浦つとむも書いていますが、運動はそれ自体が「矛盾」です。さらにいえば、人間の認識も「矛盾」です。唯物弁証法では「矛盾」が現実の世界に客観的に存在し(客観的矛盾)、それが世界の原動力であると主張します。「アキレスと亀」の矛盾のようなゼノンの指摘は、数学上の問題として解釈されることも多いのですが、ゼノンの指摘は運動の持つ性質=矛盾を突いたものであり、本来は論理学の問題として解かれるべきものです(詳しくは『弁証法はどういう科学か』の2章・6章をご覧下さい。)

一方、エンゲルスの論争相手であったデューリング(『反デューリング論』参照)、また主観的観念論者などは、矛盾は客観的になど存在せず、思想の中にしか存在しえないなどと主張します。ですので「運動が矛盾なのではなくて、運動を認識する際に認識する側に矛盾がある」というコメントは、唯物弁証法の立場(たぶんヘーゲルでも)からはちと容認できないのですが(^^;)、これはおそらく多方面から執筆材料を収集しているために、まだ充分に整理しきれていないためではないかと思われます。無論なにも唯物弁証法に限定して論じられるわけではないでしょうから、「弁証法一般」として論を展開させるのならば、これもありかとは思います。ただせっかくですので、少し長めですがコメントしてみました。
posted by liger-one at 01:54| Comment(1) | TrackBack(3) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

無題

■忙しさにかまけていたら、あっという間に一週間経ってしまいました。早すぎます。

■サイドバーにgooのRSSを利用していますが、このごろはブログ側でRSSfeedを更新しても、まったくエントリーが変化しなくなってしまいました・・・なぜ?(==;)

■件(くだん)の郵政民営化法案は、自民党内でも多数の造反者を出しつつ、わずか5票差で衆議院を通過しましたが、参議員では否決されるであろうと予想されています。郵政民営化の真の目的は、外資(主にアメリカ)の参入を容易にするためらしいですが、さりとて反対論者も「国民のための反対」というよりは「既得権益を守るため」といった趣で、両者とも立場は違えども「同じ穴のムジナ」に過ぎないように思えます。

■一方、新聞を見ると、憲法や教育基本法の論議で「自衛軍」や「祖国愛」の明記が問題になっているようです。中国の大規模な反日デモ以来、中国・韓国の「反日教育」を非難する主張が少なくありませんが、自分(日本)はどうなんだ?と思わずにはいられません。

ちなみに中国の歴史教科書は、中学・高校とも「国定」ではなく(中・高で各8種類あり、教科書の採択権は学校側にある)、韓国では中学までは「国定」で、高校では「国史」(通史)は国定であるものの、近現代史に関しては現在は検定制がとられ、5種類の教科書が存在しているとのことです(別冊宝島編集部・編『別冊宝島・中国韓国の歴史教科書に書かれた日本』)。中国など共産党のイメージが強いせいか、教科書も固定のものしか使っていないような印象を受けますが、先入観を持って物事にあたってはならないことの一つの証左です。

日本はご存知のとおり検定制ですが、最近は教科書の採択権を、現場の教師ではなく自治体の教育委員会に持たせようとする動きさえあります。東京都の教育委員会など、君が代や日の丸の問題で教師を処罰するようなことがまかり通る時代ですが、そんな人々に教科書の採択権など持たせたらどうなるか、目に見えるように思われます。
posted by liger-one at 01:23| Comment(0) | TrackBack(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年07月01日

7月です

■7月です。2005年も早くも半年を過ぎてしまいました。早すぎます。そして暑うございます。

■6月は花田家騒動がマスコミを大いに潤しました。花田家騒動それ自体は角界においても一大問題であり、解決さるべき性質のものだとは思われますが、あのように連日大々的に取り上げるだけのニュースバリューがあったのかどうかは疑問です。報道するな、というわけではありません。タマちゃん騒動などもそうですが、本来取り上げられるべき重要なニュースの時間を割いてまで、大きく取り上げる必要があったのか?ということです。

■とある地方紙の記事を見ていたら、靖国参拝は命懸けでしなくてはならないという某政治家の発言を見つけました。命まで懸けてしなくてはならない参拝とは一体何なのかと思いますが、それよりも本当に「命懸け」でイラクに駐留している自衛隊員が、こんな発言を聞いたらどんな風に思ったろうかとふと考えてしまいました。
posted by liger-one at 01:16| Comment(2) | TrackBack(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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