2005年08月28日

テキストエディタ雑感(2)

NoEditorが朝日新聞Be(土曜版)の「Freeソフ得!」で取り上げられています。すでに作者のYokka氏のサイトで予告されていたので知ってはいたのですが、全国紙の影響力はさすがにすごいみたいです。

筆者の鐸木能光氏は以前同コラムでYokkaGrepのレビューを書かれており、著作(『そんなパソコンファイルでは仕事ができない!』、青春出版社・プレイブックスインテリジェンス)でも取り上げておられるのですが、本体のNoEditorについてのレビューはありませんでした。これはおそらくNoEditorがSDI型のエディタだったからではないかと思います。氏がレビューを書いておられるエディタを見ると、Coolmint・MKEditor・サクラエディタ・QXと、いずれもMDI型なので、QXを基準にして考えればMDI型のエディタに目が向くのは当然かもしれません。

ちなみにNoEditorに同梱されているYokkaGrepは、現在「YokkaGrep2005」にアップグレードされ、より多機能になっています。オプションも「設定」ダイアログを廃する代わりにプルダウンメニューなどで指定できるようになり、より直観的になっています。NoEditorと同様のスキン機能も搭載されていますが(右上の▽ボタン)、私は強調表示が旧版に近い「Relifer」を選んでいます。なお以前のYokkaGrepがいい、という場合は、Vectorに旧バージョン(Ver1.60)がありますので、それをダウンロードするとよいでしょう。ディレクトリもNoEditorと別に指定すればGrep単体で使用できますし。YokkaGrepについては、そのうちきちんとレビューを書いてみたいと思っています。

ところでVer.5で本格的に縦書きに対応した秀丸ですが、なかなかいい感じに思えます。QXでおなじみの半角縦中横(半角数字二文字をセットにして縦書きする機能)のほか、行番号の縦書きや半角文字自体を縦書き表示にできますし、半角漢数字を設定すると算用数字がすべて半角漢数字の縦書きで表示されます。そこまで縦書きで表示させるかどうかは趣味の問題になりますが、行番号の縦書きはQXにもあっていいような気がします。ちなみに「EOF」は、縦書きにしてもそのままです。QXのように「終」にはなりません。外観的にも256色アイコンでモダンになったように思えますし、時間があれば正規表現の勉強もかねていろいろ研究したいと思っています。QXももっとスマートなデザインならもう少しシェアも伸びると思うのですが、頑固一徹さもQXの魅力の一つでしょうし・・・。次期バージョンに淡く(^^;)期待しています。
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2005年08月23日

指導者の理論:目次

1960(昭和35)年6月、勁草書房より出版されたA5版の単行本。前年の『大衆組織の理論』の姉妹書にあたる。 内容的には1957年の『指導者とは何か』(三一新書)をたぶんに意識したものとなっており、構成にも共通点が見られるが、より体系的に整理されていることが目次からも理解できよう。

本書は、半年前に公けにした『大衆組織の理論』の姉妹編であって、民主的な諸組織で指導的な仕事をする人たちの手びき書ともなるように、実用的な理論書として書いたものである。・・・
私は、すでに『大衆組織の理論』において、組織の理論を建設するためのもっとも大きな障碍の一つが、毛沢東の『矛盾論』をふくめてマルクス主義矛盾論と称するものの偏向であり、マルクス=エンゲルスの矛盾論はマルクス主義者と称する人たちによって修正されてしまっていることを指摘しておいた。指導者のありかたないし指導のしかたを問題にするにあたって、いま一度そのことを強調しなければならない。・・・
指導そのものが矛盾であり、指導することそれ自体が非敵対的矛盾の積極的な創造であり、大衆路線が一個の運動・一個の矛盾のありかたであることを、マルクス主義の矛盾論は教えている。大衆路線の基礎をなす正しい大衆観は、正しい社会観なくしては生れない。大衆路線の原動力としての矛盾は、社会の原動力としての矛盾に結びついている。大衆路線の理論は、正しい社会の理論・正しい大衆の理論をふまえてそのうえにしっかりと位置づけられたとき、初めて理論的な体系として強い説得力を持つことになろう。・・・(まえがきより)




第一部 指導の論理
第一章 組織と個人
一 指導者論理の出発点
二 社会の中の個人――史的唯物論の立場から見た主体性の問題
三 組織の中の個人――組織の条件と個人の条件との結びつき
四 組織の利益と個人の利益
五 指導者としての個人

第二章 いわゆる「大衆路線」の論理構造
一 大衆観点と大衆路線の区別と関係
二 政治路線と組織路線の区別と関係
三 部分と全体、一時と遠大、個別と一般との統一
四 普遍性を強調して特殊性を無視する――トロツキズムの指導
五 典型の暴露、典型の調査、典型の創造

第二部 指導者の仕事
第一章 指導者はどういう能力が必要か
一 原則を正しくつらぬく能力を持ち理想実現のためにあくまで奮闘すること
二 独立して活動する能力を持ち組織をひろげ指導者を育てていくこと
三 専門家としての能力を持ち専門化した活動をすること
四 すぐれた戦略戦術を立てる能力を持ちそれを発展させながら進むこと。
五 判断力と決断力とをかねそなえること
六 組織相互を正しく結びつける能力を持ち新しい組織の産婆役になること
七 規律を守り責任を重んじること

第二章 下部の人たちは何を求めているか
一 反対給付の要求
二 自分にふさわしい自分を成長させる仕事の要求
三 自分にふさわしい地位の要求
四 人間的に接してほしいという要求

第三章 指導者はどういう仕事をするか
一 目的をあきらかにしてよく理解させること
二 仕事を正しく割り当てて自分が先頭に立つこと
三 規律を創造し維持すること
四 協力を育てること
五 知識を与え学習をさせること
六 誤謬を正しく扱って批判と自己批判を行うこと
七 すぐれた会議を持つこと
八 よい司会者よい助言者になること
九 個人の能力を調査し「新入生」を教育訓練すること
一〇 女性の特殊性に注意すること
一一 指導者相互の協力と系列化に努力すること
一二 どういう指導者がきらわれるか

第三部 統一戦線の新しい展開と活動家の結集
一 大衆運動の発展は複雑な新しい課題を提起する
二 「民主主義擁護群馬県連合」(民擁連)の成立と発展
三 民擁連はどんな問題に当面しているか
四 「東総平和と民主主義を守る会」(平民会)の成立と発展
五 平民会はどんな問題に当面しているか
六 青年活動家の成長とその結集

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2005年08月21日

大衆組織の理論:目次

1959(昭和34)年12月、勁草書房より出版されたA5版の単行本。本来は敵対的な存在であるはずのヒトラーや新興宗教の活動をも「大衆運動」という観点から冷静に分析していることは、理論家としての彼・三浦つとむの公平な態度を良く表していると思われる。なお1961(昭和36)年10月には改訂版が出版されている。これは1960(昭和30)年の安保闘争以降の状況を踏まえ、第三部の内容を書き改めたものである。

(前略)組織理論は一つの科学である。これはわかり切ったことのようであるが、現在組織のことを論じている人たちの中には、組織理論を現実の組織活動の科学的な分析によってはじめてつくりだされる社会科学の一部門と理解しないで、サークル活動の経験を重ねていさえすれば自然にさとれるものであるかのように、あるいは詩人の直観や思いつきで生れてくる「新しい思想」であるかのように、思いこんでいる者もあるから、まずこれを確認しておく。正しい組織理論は難解でも何でもない。科学的に思考できる者なら誰でも容易に理解でき、十分に役立つものである。・・・けれども現在のところ.世界のどこを見わたしても、日本の大衆運動が当面している諸問題を具体的に解明できるような、できあいの・体系的な・組織理論は存在しないのである。・・・

本書がとりあげたのは、大衆運動の形態としての大衆組織のありかたと、さらには前衛部隊とのむすびつきの問題である。これらについての基礎的な考えかたは、すでにいくつかの古典的な文献の中に部分的に示されているけれども、マルクス主義者と称されている人たちはそれを体系的なものとして展開することができないぼかりか、後退さえ見られる状態で、実際運動からの強い要求にもかかわらずいちじるしく立ちおくれてしまっている。その原因がどこにあるかは、本書の序論において説明したが、要するにマルクス主義者の方法論がマルクス主義から逸脱しているためである。・・・

大衆運動・大衆組織にはさまざまの種類があるが、革新的な運動で古い歴史を持つものはこれまでも多くの研究がありすぐれた研究書や手びき書が出ているのに反して、保守的・反動的な運動や革新的でも新らしい運動についてはまだ研究が不十分である。いずれにしても大衆運動は大衆の意識とエネルギーにもとずいてすすめられる運動であり、大衆組織は大衆が組織者となってつみあげていくものであるから、新興宗教やナチスのような非科学的な反動的な大衆運動の教訓をも十分に学ばねばならないし、革新的な方向を目ざしてはいるが手びき書もほとんどなく、学者からの協力も不十分なために、経験主義で試行錯誤をくりかえしながらなやんでいる運動に対しては、とりあえずそれらの経験をふまえて当面の指針をつくりだす理論的な協力が行われなければならない。・・・

革新的な運動が現在おかれている状態は、人多き人の中にも人ぞなし、ということばで定式化することができよう。大衆運動は多くの能力ある活動家をうみだしているのだが、それらの活動家を指導するだけのすぐれた指導者がなく、大衆運動の末端で活動している青年たちの小さなエネルギイさえも十分に効果的ならしめるような、広汎で同時に統一性と調和性のある仕事を創造し育てていくだけの組織的才能を持つ政治的な組織者がいないのである。大衆運動の中の能力ある活動家たちが、すすんですぐれた組織者になりすぐれた政治的指導者になるために、本書がすこしでも役立つならば、私としてそれ以上の満足はない。(まえがきより)


序論 組織論の方法について――マルクス主義矛盾論の再検討――

第一部 組織活動をどうとらえるか
第一章 組織の構造
一 指導部と被指導部の関係
二 規律について
三 組織における民主主義
四 独自活動とその相互規定
第二章 組織の行う大衆教育――宣伝・扇動・暴露
一 大衆教育と階級意識
二 宣伝家と煽動家の分業と協力
三 暴露組織の確立と強化
四 大衆運動ではどのように暴露が扱われてきたか
五 扇動活動の欠如と手工業性への釘づけ
六 ヒトラーの組織論・煽動論とレーニンのそれとの一致
七 ファシズムの煽動家はマルクス主義家の活動をどう見たか

第二部 大衆組織の理論的検討
第一章 サークル
一 戦前のサークル活動――赤色サークル主義
二 戦後のサークル活動――自然成長性による目的意識性の圧倒
三 サークルにおけるルーズさの問題
四 サークルにおける目的意識の問題
五 サークルと専門家の集団との組織的な浸透
六 サークルと専門家の集団との活動における浸透
第二章 青年団
一 青年団活動における運動理論の欠如
二 共同学習における学習と実践との遊離
三 青年団運動の目的と青年団運動のワク
四 青年団の中のグループと外のグループ
五 青年団運動における人間の育成
六 青年団運動における右翼的偏向と左翼的偏向
七 指導者の系列化の問題
八 民主主義青年同盟のありかたについて
第三章 平和組織
一 第二次世界大戦後における平和運動の特殊性
二 原水爆禁止運動の発展と平和委員会無用論の発生
三 「幅広論」の右翼的偏向とセクト主義の左翼的偏向
四 労働運動と平和運動との結合
五 労働組合と平和組織と前衛政党との関係をめぐって
第四章 新興宗教
一 革新陣営をおびやかす新興宗教
二 大衆の中からオルグを養成する体制
三 オルグの煽動活動に対する宣伝家の援助
四 新興宗教の諸矛盾――進歩的な側面と反動的な側面
五 新興宗教のサークル活動

第三部 当面しているいくつかの問題
(初版)
一 社会党の苦悩と「無党左派」の増大
二 曲り角にきた労働運動
三 学生運動の動向と独立共産党の問題
四 農民運動のいばらの道と文学運動の停滞
五 谷川雁のサークル論における種々の詭弁について
六 日青協の青年団論への一批判
七 青年団の過小評価と過大評価
八 『平和ふじん新聞』と『現代の理論』をめぐって
(改訂版)
一 安保改定阻止国民会議――カンパニア組織というものの限界
二 党フラクションと党の組織機関はどうむすびつくか
三 いわゆる「地域組織」についての市民主義的発想
四 総評の新しい路線「日本的組合主義」
五 学生運動が政治主義になる原因
六 日青協の青年団論への一批判
七 左翼運動の「戦国時代」――対立抗争は激化しつつある

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指導者とは何か:目次

1957(昭和32)年7月、三一書房より出版された「三一新書」の一冊。『大衆組織の理論』『指導者の理論』(勁草書房)の先駆的著作であり、『こう考えるのが正しい』などで部分的に説かれてきた指導者論が前面に押し出されている。もっとも三浦つとむ本人は本書の出来に不満を持っていたようで、後年『指導者の理論』のまえがきで、「一九五七年に出した『指導者とは何か』(三一新書)という題の手びき書も、執筆にあたって企画上の制約があったばかりでなく、校正刷りにも政治的な干渉が行われ、極めて意に満たないものとなってしまった苦い経験がある」と、当時の執筆状況を暴露している。

二十何年前、わたしは組織活動ということに関心を持って、組織のつくりかたと指導のしかたについて教えてくれるいい手びき書はないかとさがしたが、これはと思うものは一冊もなくて失望した。・・・わたしは、自分で努力すれば独学でも何とかよい指導者になれるように、指導者養成の手びき書をつくることが必要だと思っている。・・・だが誰もやってくれないから・・・わたしが書いてみることにした。読者は自分の経験に基いてこの本をさらに具体化し、必要な項目をつけ加え、よくないところを訂正してほしい。このつぎには、読者自身が協力してこのような本を書き、公けにしてもらいたいと願っている。・・・この本が読者諸君にとって、指導者というものを理解するために、悪質の指導者とたたかうために、自分を指導者としてきたえるために、すこしでも役立つならわたしは満足なのである。(まえがきより)

まえがき
序論 組織あるところ指導者あり

一 指導者はどういう能力が必要か
   1 すぐれた組織能力
   2 下部の指導能力
   3 専門家としての能力
   4 計画を立てる能力
   5 判断力と決断力
   6 主体性を持つ前むきの思考能力
   7 組織や運動全体との調和を計る能力
   8 責任を重んじること

二 下部は何を求めているか
   1 自分にふさわしい自分を生長させる仕事の要求
   2 自分にふさわしい地位の要求
   3 人間的に扱ってほしいという要求
   4 主体性を持たせ自尊心を満足させることの要求

三 どういう心がまえで仕事をするか
   1 目的をハッキリさせること
   2 仕事を正しく割当てること
   3 指導者は先頭に立つこと
   4 指導者のやらなければならない仕事
   
四 どういう心がまえで仕事をするか
   1 規律の維持
   2 協力を育てること
   3 知識を与えること
   4 すぐれた会議を持つこと
   5 中央と末端の指導者との間に正しい関係を保つこと
   6 下部の人たちをどう育てるか
   
五 指導者のやらなければならない仕事
   1 才能の調査と養成
   2 新しく入った人たちに対する態度
   3 女性に対する態度

六 誤謬をどう処理するか
   1 正しい批判を行う態度
   2 人間的な話しあい
   3 誤謬について研究すること
   4 損して得とれ――指導者の自己批判

七 どういう指導者がきらわれるか
   1 天 皇 型
   2 親 分 型
   3 無 能 型
   4 怠 け 型
   5 お茶坊主型
   6 縄ばり型
   7 事務員型
   8 受けおい型
   9 八方美人型
   10 猜 疑 型

八 機関紙とはどういうものか
   1 機関紙とはどういうものか
   2 通信における典型について
   3 内容と形式について
   
九 いわゆる「大衆路線」をどう理解するか
   1 大衆観点と大衆路線との区別と関係
   2 政治路線と組織路線との区別と関係
   3 機関紙と大衆路線
   4 幹部政策と大衆路線

十 指導者にもの申す――末端活動家匿名座談会
   1 金の問題を正しく処理してもらいたい
   2 女性関係でも模範を示すべきだ
   3 せめて普通の人なみの道徳を
   4 勉強して指導能力を持ってほしい
   5 すぐれた専門家であってほしい
   6 地位を保つためのあの手この手
   7 政治サークルをつくったらどうか
   8 進歩的文化人に対する要求
   9 何が運動のささえになるか

十一 学生にもなやみがある

十二 論争必勝虎の巻――悪質指導者とどう闘うか

十三 「石あたま」の機械論にならないために

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2005年08月15日

プラグインのトラックバックを

表示してみました。でも表示数の制限って出来ないのでしょうか? 異様に長くなってしまった・・・(==;)。
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2005年08月14日

教科書問題雑感

昨今の教科書問題は、単にどの出版社の教科書を使えばよいか、という問題ではない。これは「イデオロギー的な闘争」である。政治的な問題が生じるのはそのためでもある。

以前も書いたことだが、教育勅語や修身に代表される徹底した皇国イデオロギー教育がいかなる成果を挙げたのか、またどれだけの悲惨を生んだかは、日本での戦前・戦中のありかたを少しでも反省してみればわかることであろう。これはその内容もさることながら、国家レベルで組織的・計画的に教育が行われたが故であるということを、まずは理解する必要がある。
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2005年08月12日

杉並区が「作る会」教科書採択へ

東京都杉並区が来年度からの教科書に「新しい歴史教科書を作る会」の教科書(扶桑社)を採択する審議を続けており、まもなく採決されるとのニュースが流れていた(フジテレビ)。決定すれば公立中学では初めての採択となる。

超右翼による「草の根(根こそぎ)ファシズム運動」が徐々に効果をあげはじめてきていることの現れかと思われるが、それにもまして教育現場はおそらく混乱することであろう。杉並区長は受験対策を真剣にする気がないらしい。

(追記)採択が正式に決定された模様です。
<歴史教科書>扶桑社版を採択 東京・杉並区教委(毎日新聞)

杉並区が扶桑社版採択 中学の歴史教科書(共同通信)
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2005年08月09日

郵政解散

首相・小泉純一郎の宿願だった郵政民営化法案。説得工作などで成立は五分五分と言われていましたが、結局造反者が多数出て参議院で否決されました。もっとも衆議院の時ですでに5票差という危うさでしたし、派閥の長である森喜朗でさえ匙を投げた、首相のあの頑固さですから、もはやシナリオは出来上がっていたように思われます。2日の「なぜ郵政民営化にみんな反対するのか、この程度のことに反対してなぜ行政改革、財政再建が出来るのか」という彼・小泉の発言は、<これじゃアメリカとの約束が守れないじゃないか!>、穿った見方ですがそんなふうに聞こえました。もっとも別にアメリカのことを考えていなくとも、彼の必死ぶりは充分に伝わってきましたが。そして予告どおりの衆議院解散・総選挙です。

郵政改革については、よしんば行われるとしても、現在よりもサービスが後退するような改革では意味はありますまい。また今回は反対派の勝利に終わりましたが、それとて彼らの反対理由は、「国民のため」という建前よりも「既得権益を守るため」という本音のほうが、おそらくは重きを占めているでしょうから、手放しで喜べるものでもないのですが。

ところで解散にともない、郵政法案以外の重要法案も同時に廃案になりました(自立支援法案などが廃案 国民生活への悪影響も)。とはいえ、そのうちの一つ「組織犯罪処罰法など改正案は重大犯罪を対象に、実行されなくても謀議に加わるだけで処罰可能となる『共謀罪』新設などが目的だった」そうですから、成立した場合のほうがはるかに「国民生活への悪影響」をもたらしたのではなかろうかと思えます。かの「人権擁護法案」も先日国会提出を見送られましたが、これもいつまた表面的に手直しされて提出されるか、わかったものではありません。

また「障害者自立支援法案」も、「障害者に福祉サービス利用料の一部を負担してもらうのが柱」とだということですが、介護保険の問題といい、とにかく政府は弱者に対して非情です。今の政府が拠って立つ経済理論が「小さな政府」を目指す新自由主義ですから、政府にとっては当たり前の行動とはいえ、節約出来るであろう部分は節約せず、それでいて税収が減っているからとにかく取れるところから取りましょう、仕事は民間に丸投げしましょうというのでは、一体誰が納得するのでしょうか?
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2005年08月08日

DIONは日曜に弱い(==)

昨晩から今日の午後にかけて、またサーバートラブル&メンテナンスがありましたが、DIONは日曜に弱いのでしょうか? 無論、他のブログサービスとてトラブルが皆無ではないでしょうが、DIONはトラブルに気づくのが遅いのか、アナウンス自体が遅くて、わざわざ信頼性の低下を自ら招いてるように思われます。

来年には携帯キャリアをauに乗り換える予定ですので、LOVELOGのサポートももう少ししっかりしてもらいたく思います、ほんとに。
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2005年08月07日

ちなみに

親不知の痛みは一応治まりました。まだ腫れてはいますが。バファリン、グッジョブ(==b)。
posted by liger-one at 23:02| Comment(2) | TrackBack(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

弁証法とは(1)

アクセス解析のキーワードを見ていると、定期的に「弁証法」とか「弁証法とは」で検索されている方がいらっしゃるのですが、このブログでは、弁証法に関しては今のところおそらく最低限しか取り上げていませんし(『弁証法をどう応用するか』のあとがきなど)、今後もあまり積極的に取り上げるつもりはありません。その理由は、基本的には以前書いたエントリーのとおりです。それにいまは集中して勉強する暇も気力もありませんし。

実用レベルで弁証法の基本を知りたければ、まずは『弁証法はどういう科学か』を、といったところなのですが、それもなんですので、参考までに三浦つとむの師匠の一人・エンゲルスの著作から有名な箇所を引いておくことにします。

『反デューリング論』(国民文庫版)

ベルリン大学の私講師だったデューリングの著作に対する反駁書。マルクス主義の論理が体系的に展開された最初の著作でもあります。弁証法にかんしては「三つの版の序文」の二(1885)、「序説 1 総論」、「第一篇 哲学」の「12 弁証法、量と質」「13 弁証法、否定の否定」、また本来は序文として掲載されるはずが長文になりすぎて採用を見送られた「『反デューリング論』への旧序文」などで展開されていますが、それだけを読めばいいというわけではもちろんないでしょう。当のエンゲルス自身も、「読者は、私の提出した諸見解のなかに内的な連関があることを、どうか見おとさないでいただきたい」(「三つの版の序文」の一、1878)と注意を促しています。もっとも文庫でも2冊組の大著ですし、当時の読者(もともとは新聞連載)にエンゲルスの意図が伝わったかどうかは微妙なようですが・・・。以下は「第一篇 哲学」で、唯物弁証法の三法則(本書では「二つ」ですが・・・)の一つ「否定の否定」を論じた箇所からの抜書きです。

それでは、否定の否定とはなにか? それは、自然、歴史および思考のきわめて一般的な、またまさにそれゆえにきわめて広く作用している重要な発展法則である。それは、以上に見てきたように、動植物界でも、地質学でも、数学でも、歴史でも、哲学でも効力をもっている法則であって、この法則には、デューリング氏自身も、どんなに逆らおうがもがこうが、知らず知らず彼なりの流儀で従わなければならないのである。私がなにか特殊な発展過程、たとえば、大麦粒が発芽してから実をむすんだ植物が死滅するまでにこの大麦粒が経過する発展過程について、これは否定の否定である、と言ったところで、その発展過程についてなにも言ったことにはならないのは、自明のことである。(中略)私がこれらすべての過程について、それらは否定の否定である、と言うとき、私はそれらをすべてまとめてこの一つの運動法則に包括しているのであって、まさにそれゆえに、おのおのの特殊過程の特殊性を考慮のそとにおいているのである。だが、弁証法とは、自然、人間社会および思考の一般的な運動=発展法則にかんする科学というもの以上のものではないのである。
 (「第一篇 13 弁証法、否定の否定」、P218より、強調はliger)

posted by liger-one at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 科学・哲学・弁証法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

眠れません

抜いた親不知の跡地が腫れあがって痛いのです(==;)。すんなり抜けただけましですが・・・。
posted by liger-one at 03:08| Comment(0) | TrackBack(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月06日

こうの史代/『夕凪の街 桜の国』

雑誌の書評を見て気になってはいたのだが、買うのをなんとなくためらっていた。しかし偶然立ち寄った本屋の書棚に本書が置いてあるのを目にし、これは何かの暗合だろうかと思い(そんなふうに考えるのも奇妙なことだが)、手に取ることにした。

本書は文化庁メディア芸術祭大賞を受賞し、一躍有名になった作品である。映画化もされると聞いている。しかし、たとえそのような賞を受賞しなかったとしても、この作品は歴史に残すべきである。それだけの価値は、有ると思うのだ。

本書は「夕凪の街」「桜の国(一)」「桜の国(二)」の三篇から成る。各作品は独立した内容ではあるが、全編を通して読むことで、その全容が明らかになる構成となっている。ここで取り上げるのは、最初の作品「夕凪の街」である。ただ、恐縮ながら、あまりまとまった感想を書けてはいないことをご容赦願いたい。
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2005年08月01日

大塚英志/『憲法力』

先日本屋に立ち寄った際に見つけた一冊。<「国民」である前に「有権者たれ」>と大書された帯のコピーに興味を覚え、買ってみることにした。

「憲法力」とは何か? 大塚氏は言う。

 この本のテーマを一言で言うと「憲法力」ということになります。
 憲法に力と書いて「憲法力」。「体力」や「学力」や「想像力」と同じような意味合いで「憲法力」という造語をあえて最初に掲げてみます。
 今も子供たちの学力低下が叫ばれています。・・・しかし、今われわれに欠けている「力」は何なのかと冷静に考えてみた時に、一番問題になってくるのは、・・・むしろ、ぼくたち大人の側の「憲法力」という有権者としての基本的な能力ではないのかな、という気がするのです。・・・回復すべきなのは計算能力の類ではなく、むしろ社会的な力で、それもぼくたちが憲法下でいかにふるまうか、そのための能力です(第一章 「学力」ではなく「憲法力」)。


自民党の議員や自由主義史観派などによって「憲法改正」(改悪)が叫ばれるようになって久しい(どちらも「自由」を冠しているにもかかわらず、その主張のなかには真逆なものさえ含まれているというのは、何かのブラックユーモアなのだろうか)。柳田国男の論考を参考にしているところなど理論的な部分に異論がないわけではないが、本書の眼目である昨今の憲法改正論議に対する立場や、「憲法力」を取り戻す必要があるという大塚氏の主張には私も支持したいと思う。なにしろ選挙の投票率が50パーセントを下回り、「自分は絶対選挙には行かない」と明言する者さえいるくらいである。もし「選挙に行かないこと=政治的に中立」などと思い込んでいるのだとしたら、それは思い違いだという他はない。「憲法力」は主体性の問題でもある。

柳田国男を取り上げていることからお分かりかもしれないが、大塚氏の専攻は日本民族学である。しかし数年前から「中高生に『自分のことばで』憲法前文を書くことをすすめる『護憲』の方法を提唱」(著者紹介)して実践を続けており、私は未見だがすでに数冊の本を上梓しているらしい。この実践はある意味驚嘆に値するものと思われる。現在の学校教育では、このような実践はおそらくほとんど試みられないだろうからである。

現在の憲法論議になんとなくうさん臭さを感じているがそれを自分では上手く説明できない方、あるいは憲法問題の概要を一通り掴みたい方にも、「考える材料」の一つとして本書は勧められると思う。
posted by liger-one at 20:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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