2006年03月26日

「著作一覧」への追加

カテゴリ三浦つとむ著作一覧のリンクと著作目次(The Tsutomu Miura Archives)を大幅に追加した。三浦つとむの著作は数的には60・70年代がピークなので、今回の追加で主要著作の目次は8割方はカバーできていると思う(ちなみに先週から著作一覧や目次の不備をいくつか修正している。)

これは今の更新ペースのままではリストが完成しそうにないと判断したためで、とにかくすでに作業済みだった手持ちの分を一気にアップすることにしたわけである。そのため今回レビューはオミットしてしまったが(「生きる・学ぶ」だけはカバーに簡単なレビューが付されていたので、それをつけた)、目次だけでも最低限の内容はわかるはずである。

なお、今回アップした目次には、一部の見出しに■や◇などの記号を統一して使用している。これらは原本の目次には当然ないものだが、視認性を高める目的で使用している(HTMLタグなしに手軽に見出しを強調できるということもある。)

投稿の際に改行コードを修正する必要があったり、ラヴログが不調だったりと少々面倒ではあったが、おかげでリスト(2)はようやく完成である。残すは選集を含むリスト(3)だが、これは次の機会となる。
posted by liger-one at 21:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 更新状況 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

生きる・学ぶ:目次

カバー紹介文より
□著者の近況
 一九七七年一月、脳出血で倒れた著者は、三年六ヵ月に及ぶ入院闘病生活を送って、八〇年六月に退院。現在、自宅でリハビリテーションを続けている。
□本書の内容
○第I部は、若い人々に向けて書かれた「人生と学問と社会」についての13章。
○第II部には、退院後に回復訓練のかたわら書き綴られた「思い出話・うち明け話」など著者の人となりをうかがわせる私小説的論文と、「ソ連旅行記」を収録。
○第III部はいずれも病いに倒れる以前に書かれたもので、唯物論の立場から、恩と孝、<甘え>、人間の観念的な自己分裂といった“観念の世界”の問題を、切れあじ鋭く解明した、理論的労作3本。
【付録】巻末に23ページに及ぶ詳しい「三浦つとむ著作総目録」を掲載。


◇まえがき

□I
■生きる・学ぶ※
 1 働く人たちの恩
 2 死
 3 学ぶ
 4 人生探求の旅
 5 親子げんか
 6 訓練について
 7 お守り・お祈りのナゾ
 8 やさしい心と強い心
 9 職業
 10 家事の教育
 11 反面教師というもの
 12 劣等感
 13 ことわざ・格言について

□II
■昔ばなし
 ウソの効用
 コロッケの唄
 PTの先生
 偽装伏せ字
 おかしな美談映画
 学校時代の思い出
 封切映画を安く見る法
 禁じられた遊び
 昔の少年読物
 毛沢東思想
 「王子と乞食」
 縁日の食べ物
 『新篇路傍の石』
 赤ん坊の時の経験
 藤村操の歌
 アラビアの唄
 あばれはっちゃく
 「前衛」さわぎ
 ジャリ・タレ
 TV劇「折鶴」
 山本周五郎との出会い
 戯曲の小説形式の翻訳
 日曜漫画版

■「人は何のために生れて来るのか」という疑問
 1 人は何のために生まれてくるのかという疑問
 2 自分は何のために生きるべきか
 3 探偵小説が教えてくれた思考方法
 4 思い出の記――兄のこと、謄写版の仕事のこと、母のこと
 5 三浦つとむとは何者か
■ソ連旅行記※
 1 脱イデオロギー現象の進むソ連へ
 2 ソ連のマルクス主義の現状
 3 芸術と建築における理論の不在
 4 教育の状況
 5 社会科学の荒廃とプラグマティズムの浸透
 6 官許マルクス主義からの転換の開始か
 7 スターリン批判から十一年
 8 哲学者たち
 9 研究組織路線の転換
 10 社会科学情報センターの設立
 11 日本のマルクス主義の評価
 12 スターリンの扱い
 13 レーニンから疑え

□III
■日本の家庭――「恩」の問題を中心として※
 1 家庭論の方法――親子観・家族観・人間観
 2 日本人大衆の社会的人間観
 3 恩について――ベネディクトと川島武宜の所論の検討
 4 奴隷制社会における絶対的な孝
 5 徳川封建制における孝
 6 絶対主義天皇制における孝と忠、戦後民主主義の空洞
 7 資本制社会における家庭
 8 われわれの道徳――恩と恩がえし

■珍珍妙妙(これはとびっくり)「甘え」の構造(おはなし)
――土居健郎の<甘え>理論を検討する
 1 現象から定義をつくるとどんな結果をもたらすか
 2 <甘え>ということばはどうして生れたか
 3 先天主義的解釈における「同一化」の概念
 4 成人の<甘え>はどんな状態をさしているか
 5 <甘え>理論における「幼児的依存」なるもの
 6 遠慮ということのご都合主義的解釈
 7 <甘え>と自由との関係
 8 人見知りと甘えを直結するのは正しいか
 9 対人恐怖症や被害妄想をどう考えたらよいか
 10 父親の問題についてのフロイト的発想への<甘え>
■現実の世界と観念の世界
 1 現実の世界と観念の世界の対応のしかた――相対的な独立
 2 観念的な時間の特徴と人間の観念的な自己分裂
 3 人間の観念的な自己分裂についての哲学者たちの解釈
 4 夢の世界・妄想の世界・信仰の世界の共通性
 5 意識的・計画的な夢の世界における観念的な自分の移行
 6 芸術の世界における観念的な自分の移行
 7 <動詞>の命令形についての文法学者の解釈
 8 命令の表現における現実の世界と観念の世界との対応の構造
 9 禁止の「な」についての諸解釈
 
◇三浦つとむ著作目録

※節見出しは目次に掲載されたもの(本文中では節番号のみ。)

posted by liger-one at 18:44| Comment(0) | TrackBack(0) | The Tsutomu Miura Archives | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

こころとことば:目次

(2006.10.15追記)1977(昭和52)7月に季節社より刊行された、三浦言語学・日本語論への入門編的著作(書き下ろし単行本)。のちに刊行された『ものの見方考え方』(三浦つとむ選集・第5巻)には、「もう一人のじぶん」「二重うつし」など本書の一部が収録されている。青少年向けに書き下ろされたというだけあり、三浦言語学(三浦版・言語過程説)の基礎が、論理のレベルを落とすことなくわかりやすく説明されている。三浦言語学の基礎である唯物論的な世界観の説明などは省略されているが、仮に他の三浦つとむの本を参照しなくとも、素直に読めば大抵の説明は理解できるはずである(「批判的に」読むことも、ブラウン神父風に言えば、"Not always."(いつでもそうだとは限りませんよ)。)

なお、今年の9月末、『1たす1は2にならない』とともに、明石書店より新装版が登場した。季節社版との大きな違いは、木村しゅうじ氏の挿絵や図解が無くなっていることだが、巻末の横須賀壽子氏のあとがきによると、出版条件として挿絵の使用ができなくなってしまったとのことである。

◇まえがき

1 絵から文字ことばへ
2 社会的な約束のいろいろ
3 ことばの意味
4 花ことば
5 断定のことば
6 単語・畳語・熟語
7 もう一人の自分(その一)※
8 もう一人の自分(その二)※
9 もう一人の自分(その三)※
10 もう一人の自分(その四)※
11 もう一人の自分(その五)※
12 打ち消しのことば※
13 過去の回想と未来の推量※
14 もう一人の自分との対話※
15 二重うつし※
16 「が」と「は」の使いわけ
17 <助詞>と<格助詞>
18 ことばの省略(その一)
19 ことばの省略(その二)
20 <固有名詞>と<抽象名詞>
21 「のだ」「ので」「のに」
22 日本の紋章
23 ヨーロッパ的な紋章
24 <代名詞>の特徴
25 記号と文字ことばのちがい
26 <形容詞>と<動詞>の使いわけ
27 <抽象動詞>の特別な使いかた
28 <助動詞>の性格
29 <副詞>の性格
30 <接頭語>のいろいろ
31 <接尾語>のいろいろ
32 文と文をつなぐことば
33 女性のことばの使いかた
34 カギを使わない会話
35 私とことばの研究(その一)
36 私とことばの研究(その二)
37 私とことばの研究(その三)

※「三浦つとむ選集5」(勁草書房)に収録
posted by liger-one at 18:39| Comment(0) | TrackBack(0) | The Tsutomu Miura Archives | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

言語学と記号学:目次

◇病床便り

□第一部
■言語学と記号学
 一 言語学と記号学との関係
 二 <場の表現>と他の表現との綜合の問題
 三 言語を解明できる者に記号を解明できないはずはない
 四 意味とは何か、どこに存在するか
 五 記号における<場の表現>
 六 象徴とはどんな表現か、記号とどう区別するか
■言語・記号・象徴
 一 矛盾を実現しかつ解決するための規範
 二 ルフェーヴルのcode論
 三 機能主義的発想と「代り」理論の横行
 四 記号学者の記号および信号の概念と大衆の合図および信号の概念
 五 言語と記号の区別、記号表現と非記号表現の統一
 六 記号における象徴的表現の浸透と交通機関の理解のときの規範の媒介運動
 七 言語における記号的表現の浸透と交通標識の理解のときの規範の媒介運動
 八 イェルムスレウの発想をめぐって
 九 象徴における認識の二重化、表現以前に象徴が存在するという発想
 一〇 言語学の誤謬の記号学による修正、ルフェーヴルの「三次元図式」
 一一 ヨーロッパ的な紋章と日本的な紋章
 一二 象徴をめぐる問題
 一三 言語と記号はどこで区別されるか
 一四 記号論者の一方通行的なコミュニケーションの概念とその役割
 一五 モンタアジュ論者の「単位」と記号学者の「単位」との共通点
 一六 表現についているいろいろなことわり書き
 一七 地図の記号における非記号表現の重視
■構造言語学者はなぜ意味論を排除したか?
 一 構造言語学者は意味論から逃げていた
 二 時枝誠記の意味論の弱点
 三 言語規範はダイナミックで立体的な構造を持つ

□第二部
■時枝誠記の言語過程説
 はじめに
 本質の追求と方法論の反省
 言語学のコペルニクス的転換
 時枝理論はなぜ難解といわれるか
 言語の論理構造と「哲学者」
■<助動詞>と<助詞>の自立した使いかたについて
■漢字と振り仮名
■台本の過程的構造
 一 言語の過程的構造の特殊性
 二 観念的な演劇の文章化としての戯曲
 三 演劇の特徴の戯曲への規定
 四 観念的な映画の文章化としてのシナリオ
 五 過程的構造の相対的独立をめぐって
■森有正の「日本語の二人称的性格」
■市川浩の「魔術的」身体論
 一 鏡における身体の「魔術的な転換」のタネあかし
 二 言語表現の「魔術的強制力」のタネあかし
 三 ヴァレリーの「第四の身体」のタネあかし
■「差別語」の理論的解明へ
 すべての言語は差別語である
 大衆の表現に対する差別感
 正常な分裂と異常な分裂
 どんな問題が見落されているか
 大内論文問題の再吟味
■庄司和晃著『仮説実験授業と認識理論』への解説

posted by liger-one at 18:37| Comment(2) | TrackBack(3) | The Tsutomu Miura Archives | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

毛沢東主義:目次

◇まえがき

■第一章 序論――毛沢東主義とはなにか?
■第二章 革命運動の指導者における理論と実践との統一――毛沢東主義の誕生
■第三章 毛沢東主義「哲学」の出現――修正主義的体系化としての成長
 A 毛沢東主義の認識論とマルクス主義の認識論とのちがい
 B マルクス・エンゲルスは調和する矛盾が存在すると主張する
   ――『資本論』における矛盾論の吟味
 C 毛沢東主義の矛盾論とマルクス主義の矛盾論とのちがい
■第四章 偉大な毛から滑稽な毛への転落――「放鳴」運動のつまづき
 A 偉大な革命の指導者としての地位の確立
 B スターリン批判の波紋、「放鳴」運動の失敗と収拾
■第五章 「人民内部の矛盾」論――毛沢東主義の「哲学」の新しい展開
 A 非敵対的矛盾はどのようにして解決されるか
 B 「独裁」と「民主主義」を矛盾解決の方法と解釈する
 C 社会主義社会の矛盾と毛沢東主義の「均衡」論
■第六章 「三面紅旗」の失敗と世界戦略における中ソの対立
 A 新しい世界戦略の採用と「三面紅旗」の強行
 B 彭徳懐の毛沢東批判と毛のソ連敵視
■第七章 経験主義的教条主義の満開――中ソ対立の激化
 A 毛沢東主義とソ連の原則的修正との衝突
 B 経験主義的教条主義の新しい展開と反ソ親中的結集の破綻
■第八章 プロレタリア文化大革命――毛の幻想にもとづく「革命」とその現実

◇付 録
一 毛沢東における否定の否定の法則の修正
二 毛沢東の権力観と粛清の論理

posted by liger-one at 18:35| Comment(0) | TrackBack(0) | The Tsutomu Miura Archives | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

文学・哲学・言語:目次

□I
■文学から何を学んだか
 一 観賞用表現と実用的表現との区別および連関
 二 正岡子規は客観的に「自己の死といふ事を見る」
 三 <写生>における観念的な立場の移動
■漱石のイギリス留学をめぐって
 一 漱石の煩悶はどこから生れたか
 二 小説家漱石はどんな態度をとったか
■山本周五郎の会話表現
■歌謡集にひとこと
■ソ連の学者は<情報>理論を芸術にどう適用したか

□II
■仕事と遊び〔一〜三〕
■家事の思想
■Physician Heal Thyself
■『あしながおじさん』と哲学者
■哲学の教訓――歴史と論理――
■何が哲学者をそうさせたか?
――官許マルクス主義哲学の有効性の喪失とマルクス主義社会学なるものの発展――
 〔序論〕
 一 レーニンの誤謬の継承
 二 官許哲学の成立
 三 官許哲学の変貌
 四 社会学についての見解の不統一
 
□III
■宗教論と言語論
■いわゆる<受け手>論のために
■形式主義的文法論の吟味
 はじめに
 一 言語構造の図式化と認識の構造
 二 形式主義と煉瓦的構成観
 三 いわゆる<カリ活用>説の成立
 四 いわゆる<カリ活用>説の克服
 五 <活用>とは何か――<形容動詞>肯定論の<ナリ活用>説
 六 三上章の<補助活用>説
 七 打消の論理構造と受身の論理構造
■文論から文章論へ

◇あとがき

※〔〕内は補足のため付した

posted by liger-one at 18:32| Comment(0) | TrackBack(0) | The Tsutomu Miura Archives | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日本語の文法:目次

◇まえがき

■第一章 日本語の文法をどう理解したらよいか
 一 言語規範は言語の法則性をつくり出す
 二 言語規範には民族的特殊性がある
 三 言語の本質と言語における認識の特徴
 四 言語表現と非言語表現との二面性および相互の関係
 五 日本語の<膠着語>としての特殊性
 六 文法論における形式主義的傾向
 七 言語の立体的な過程的構造に文法論はどう立ちむかったか
 八 日本語の単語をどう分類するか

■第二章 日本語の人をあらわすことば
 一 他人に呼びかけるには<敬語>を使うのが礼儀である
 二 言語を理解するには観念的な同一化による追体験を必要とする
 三 夫婦はなぜ「お父さん」「お母さん」とよび合うか

■第三章 日本語の<形式名詞>
     ――「の」とその使いかた
 一 <名詞>は実体概念を表現する語である
 二 <形式名詞>とはどんな<名詞>か
 三 橋本文法は「の」を<準体助詞> と解釈する
 四 <形式名詞>の二つの使いかた
 五 佐久間文法は<形式名詞>を<名詞的な吸着語>と解釈する
 六 三上文法は「のだ」を<準用言>と解釈する
 七 文末の「の」は<終助詞>ではない
 八 永野賢の「から」と「ので」の区別
 九 形式主義的解釈は永野の首をしめる
 一〇 永野のいう「ので」の「用法の拡張」とはなにか
    一一 「もので」と「のに」の諸解釈

■第四章 単語の活動状態としての<名詞>への転生
     ――<転成体言>の問題
 一 山田文法は語の転成を重視する
 二 山田のいわゆる<準体言>の吟味
 三 時枝文法の「の」<助動詞>説の吟味

■第五章 日本語の<形式動詞>
     ――「ある」と「いる」とはどうちがうか
 一 <動詞>の内容による分類
 二 山田文法での「あり」の説明と時枝の批判
 三 <抽象動詞>あるいは<形式動詞>の特殊な使いかた
 四 「ある」と「いる」のちがいの問題
 五 対象のとらえかたのちがいで「ある」と「いる」を使いわける
 六 <形式動詞>の二つの使いかた

■第六章 <形容詞>の特徴をめぐる諸問題
 一 同じ対象がなぜ<形容詞>にも<動詞>にも表現されるか
 二 <形容詞>の<カリ活用>説は誤りである
 三 <形容動詞>説は誤りである
 四 <形容詞>の語尾は<接尾語>ではない
 五 <用言>における客体的表現から主体的表現への転換

■第七章 <副詞>をどう考えるか
     ――依存することが本質である語の問題
 一 <属性副詞>の二つの問題
 二 <陳述副詞>とその形式主義的修正
 三 文の入子型構造と<副詞>解消論

■第八章 <助動詞>の特徴をめぐる諸問題
 一 大槻文法の<助動詞>論と山田文法の<複語尾>説との対立
 二 時枝文法の<助動詞>論の特徴と問題点
 三 <接尾語>の「て」と<助動詞>の「て」
 四 <助動詞>と<助動詞>の連結の問題

■第九章 <助詞>の特徴をめぐる諸問題
 一 <助詞>論はどうすすめられてきたか
 二 <格助詞>と<副助詞>の特徴
 三 <係助詞>とはどんな<助詞>か
 四 <格助詞>が重用される現象をどう解釈したか

■第十章 <助詞>の短絡的使用と格の問題

posted by liger-one at 18:22| Comment(0) | TrackBack(1) | The Tsutomu Miura Archives | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

1たす1は2にならない:目次

(2006.10.15追記)初版は1973(昭和48)年5月、国土社の「常識から科学へ」シリーズの第2巻として刊行され,のちに『ものの見方考え方』(三浦つとむ選集・第5巻)にも収録された。なお、今年の9月末には『こころとことば』とともに、明石書店より新装版が登場した。新装版の巻末には横須賀壽子氏のあとがきが付されている。

■失敗を科学する
 失敗をしたときはだれでもはずかしい
 失敗を科学すれば
■なぜ失敗するかを考えよう
 失敗にもいろいろござる
 人間に失敗はつきもの
■経験は万能の神ではない
 仲良くしていては競争にならない
 経験にだまされる
■死んだら神さま仏さま
 推理もゆきすぎると
 苦しいときの神だのみ
 死んだら神さま仏さま
■うまい話には気をつけろ
 冬来たりなば春遠からじ
 くりかえしか偶然か
■「純粋」に考えると失敗する
 地上を走っても地下鉄とは
 「不純」にもよいことがある
 木が三本以上あれば森というか
■”いじわる”にしかとけない問題
 のろのろ走っても高速道路
 1たす1は2にならない
 常識のおとしあな
■なぞときのすすめ
 「あれ」でもあり「これ」でもある
 ああ失敗は成功のもと

◇あとがき

posted by liger-one at 18:16| Comment(0) | TrackBack(0) | The Tsutomu Miura Archives | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

現実・弁証法・言語:目次

□I
■唯物史観と赤ん坊
■学術用語としての<独裁>
■歴史の偽造
■珍家族論の双璧
■若さがゆえに可能性があるか
■横目で見る立場から――「仮説実験授業」についての感想

□II
■弁証法とは知らずに――子どもでも理解できることの確認
■弁証法のありがたさ――単純な論理の有効性
■調和の論理
■<支持者>の論理
■オバケの論理
■善と悪と――その相対的妥当性
■北川敏男の<営存>論
 一 <情報科学>における人間機械論的抽象
 二 北川はサイバネ発想をどう越えたか
 三 <営存>――人間機械論の立場からの主体のありかたの把握
 四 マルクス主義における<生存>の論理
 五 荘子の哲学へののめりこみ

□III
■東西「粗忽長屋」物語
 一 <表現>の論理はすなわち<像>の論理である
 二 フーコーいわく、表現主体は空虚な非存在である
 三 『資本論』の論理の安易な押しつけ
 四 ルフェーヴルいわく、Langueは物質になってレコードの溝にふくまれる
 五 商品即言語、商品即Langue説
■哲学者の言語解釈――七転八倒するルフェーヴル
■チョムスキー文法論の逆立ち的性格
■学術用語は<科学言語>ではない
■夏目漱石における『アイヴァンホー』の分析

◇あとがき

posted by liger-one at 18:14| Comment(0) | TrackBack(0) | The Tsutomu Miura Archives | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

マルクス主義と情報化社会:目次

◇まえがき

■I 唯物史観小論
 一 なぜ一般論を抽象するのか
 二 マルクスの定式は「一般的な結論」である
 三 世界観と歴史観との統一
 四 一般的な世界観としての唯物論
 五 哲学的世界観から科学的世界観へ
 六 唯物史観は科学的歴史観である
 七 人間の「社会的存在」とは何か
 八 「生活の社会的生産」とは何か
 九 ヘーゲルの意志論と唯物史観
 一〇 上向法の叙述における内容の立体性
 一一 定式についての内容構成論
 一二 マルクス主義における<交通>
 一三 マルクス主義における<所有>
 
■II 唯物史観と制度
 一 俗流唯物論者の<制度>論
 二 対象化された意志・規範・<制度>
 三 他の<制度>を強化・創造するための<制度>
 四 家族とよばれる<制度>
 五 <システム>論における<制度>
 
■III 科学の体系と哲学の体系

■IV アッとおどろく………
 一 平田清明は等価交換の原理を礼賛する
 二 哲学者たちの百鬼夜行的状態
 三 矛盾論・交通論・表現論の関連
 四 コンピュータは<考える機械>か
 
■V 断絶発想の流行
 一 左翼に見られる断絶発想
 二 経営学への要求と発展
 三 <官僚制>から<民主主義>への組織<進化>論
 四 <知識社会>論と断絶発想
 
■VI 情報化社会と教育革新
 一 <情報化社会>とは何か
 二 技術革新は教育革新を要求する
 三 社会的分業の止揚と生涯教育
 
■VII サイバネ発想のタダモノ論
 一 数学レベルにおけるタダモノ論的解釈学
 二 人間機械論の立場での<通信>論
 三 「第三のもの」としての<情報>論
 四 形式主義的な<システム>論
 五 解釈学者の<情報>論と実践家の<情報>論との対立
 六 タダモノ論の有効性の限界

posted by liger-one at 17:58| Comment(0) | TrackBack(0) | The Tsutomu Miura Archives | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

認識と芸術の理論:目次

□I
■芸術の周辺
■芸術と技術
■芸術学の変革――北条元一氏の芸術認識論批判――
■マルクシズムは死んだか?
■科学者の観点と芸術家の観点
 一 芸術論と機能主義
 二 蔵原のヘーゲル的解釈
 三 科学と芸術との内容のちがい
 四 蔵原の主題論と受動的発想
 五 科学活動における観点の特殊性
 六 「前衛の観点」は科学者の観点
 七 『真空地帯』論争の「観念的公式主義」
 八 蔵原は「全体性」を要求する
 九 丸山静は蔵原の「全体性」を主張する
 十 「文学そのもの」とは何か
■芸術対象論から芸術認識論への転落
 ――ルフェーヴルの『美学入門』――

□II
■研究方法と創作方法の共通点
■夏目漱石の「空間短縮法」
■野間宏の小説論
 一 サルトルの<全体>論――
  「悪全体」の現実世界への押しつけ
 二 小説家のありかたの特殊性
 三 野間の持ち出した<磁場>の世界とは何か
 四 テーマ <仕掛け> <複眼>説と
   言葉 <くぐりぬけ> 説の正体
 五 小説論と絵画論とのくいちがい

■モンタアジュ論は逆立ち論であった
■表現における「枠」の問題
■ギャグの論理
■MY UNDERSTANDING MEDIA
■映画における「時間の創造」
■中井美学の「独創」について
■反<文学>論の系譜
■リップスの感情移入論
■事件の典型としての把握――ミス・マープルに学ぶもの――

□III
■浪花節の歴史的性格――les miserables――
■落語論

◇あとがき

posted by liger-one at 17:46| Comment(0) | TrackBack(0) | The Tsutomu Miura Archives | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

マルクス主義の復原:目次

◇まえがき

■第一章 官許マルクス主義における原理的修正
 一 マルクス主義の再検討に際して
 二 哲学は必要か、マルクス主義に哲学は存在するか
 三 レーニンのヘーゲル的ふみはずし、弁証法の二つの規定の平和共存
 四 マルクス主義は「客観的弁証法」を否定する
 五 形而上学は「でたらめをいってもかまわない」か
 六 形式論理学は否定論から肯定論へとひっくりかえる
 七 『経済学批判序説』はどんな論理構造を説いているか
 八 物質的生産と物質的交通
 九 ソ連の「国民経済会議」における生産と交通、その改革案としてのリーベルマン提案
 一〇 土台と上部構造、精神的生産と精神的交通
 一一 権力論と意志論、各個意志の合成
 
■第二章 官許マルクス主義の一変種・・・構造主義的マルクス主義
 一 「若きマルクス」をめぐる対立
 二 アルチュセールのフォイエルバッハ論
 三 アルチュセールの全体主義・・・「止揚」とは素朴で陰険な概念である
 四 『資本論』とエンゲルスの手紙のアルチュセール的解釈
 五 意志論ぬきの実践論への転落
 六 イデオロギーと科学との・人間と社会との・切断
 七 ゴドリエの「矛盾についての二つの概念」
 
■第三章 構造主義とマルクス主義
 一 フランス的な流行思想としての構造主義
 二 レヴィ=ストロースの方法とルフェーブルのソシュール礼賛
 三 ア・プリオリ的方法から歴史の否定へ
 四 構造主義の意味論
 五 フーコーにおける体系フェティシズムとサルトルの批判
 六 リクールの言語における「二律背反」の指摘

posted by liger-one at 17:29| Comment(0) | TrackBack(0) | The Tsutomu Miura Archives | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

毛沢東思想の系図:目次

◇はしがき

■話のはじめに
 マルクス主義者の動揺
 科学史の教訓
 新しい現実は新しい理論を求める

■第一話 矛盾調和論はほんとうに修正主義であったか?
1 中国における矛盾調和論への非難
 中ソ論争の闘士たちの粛清
 矛盾論の意義と毛沢東矛盾論の欠陥
 揚献珍の「合二而一」論
 調和する矛盾はどこにもある

2 矛盾調和論の歴史
 ヘラクレイトスの矛盾調和論
 ヘーゲルの「合二而一」論
 調和する矛盾の解決のしかた
 デューリングの敵対関係論
 ディーツゲンの矛盾調和論
 レーニンの矛盾調和論

3 矛盾闘争論の発展と矛盾調和論の復活
 レーニンからスターリンへの矛盾闘争論の発展
 矛盾論争の発生と矛盾調和論の出現
 ミーチンの矛盾調和論と中国の非難

4 矛盾論の論理と中国の現状
 毛沢東矛盾論と粛清
 「中間地帯」論はどうなるか
 真理の階級性
 『燕山夜話』の「反動的内容」
 なぜ止揚をとりあげられないか

■第二話 「哲学のレーニン的段階」とは何を意味していたか?
1 哲学否定論と哲学肯定論
 マルクス主義は哲学不要を説く
 「マルクス主義哲学」の主張者たち
 レーニンは「エンゲルスの基礎づけた哲学」を擁護する

2 機械論者批判からデボーリン学派批判へ
 自然科学者の機械論的傾向
 デボーリンの活動
 哲学に余命をもたせるな
 弁証法の「均衡論」的解釈
 第一次五カ年計画と哲学戦線

3 「メンシェヴィキ化しつつある観念論」
 「メンシェヴィキ」理論との闘争
 スターリンの登場
 哲学の党派性の政治主義的解釈
 哲学の実践はどうなったか

4 「哲学のレーニン的段階」
 マルクス主義の発展についての新解釈
 弁証法の改悪
 文学運動における「メンシェヴィキ」狩り
 毛沢東理論への影響
 日本のプロレタリア芸術運動への影響

5 疎外論をとりあげる「修正主義者」の出現
 疎外論とマルクス主義
 『経済学 = 哲学手稿』の波紋
 マルクスの人間論
 法および国家の理論の軽視

■第三話 法学者パシュカーニスはなぜ殺されたか?
1 権力とはなにか、法とはなにか
 権力には二種類ある
 共同の利益のための統制
 原始共同体の公権力
 国家権力への移行
 共産主義社会の公権力
 レーニン国家論の限界と影響
 パシュカーニスの運命

2 パシュカーニス法学の基礎的な弱点
 エンゲルス国家論は「不明瞭」
 力は突如としてあらわれるか
 階級権力はなぜ私的機関でないのか
 第一の否定をどうつかむか
 法の特殊性の不当な強調
 法は契約から出発するか
 法に対立する規範
 ヘーゲル法哲学とマルクス
 もっとも簡単な法的関係は所有
 マルクスの指摘は無視された

3 法は俗流唯物論では理解できない
 自己疎外としての法
 個別的な意志と法との関係
 パシュカーニスの俗流唯物論
 責任ということの解釈
 法とイデオロギー
 フロイト理論と法学者
 ライスナーのエンゲルス解釈
 法における妥協の問題

4 粛清への道
 公法と私法
 現実は純粋ではない
 ソ連の私法否認時代
 ソ連の政策との衝突
 パシュカーニス粛清の一解釈

posted by liger-one at 17:27| Comment(0) | TrackBack(0) | The Tsutomu Miura Archives | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

芸術とはどういうものか:目次

□I 人間生活の中の芸術
■1 人間は「分身」をつくりだす
 芸術は多種多様である
 生産物は人間的なかたちを持つ
 人間は「分身」を創造する
 人間の「分身」の役割
 頭脳を通過するということ
 二つの部分の相対的な独立 

■2 非芸術と芸術との接点
 精神的な交通のための表現
 実用的な表現
 第三者の受けとりかたという問題
 楽しむための表現
 道具のデザインと調和
 機械時代と工業デザイン
 芸術と娯楽
 芸術と非芸術との区別のしかた
 観念論哲学での区別のしかた
 芸術と科学との区別

■3 芸術についての考えかたの対立
 芸術の商品化と芸術家の堕落
 芸術至上主義
 政治闘争の道具としての芸術
 芸術アジ・プロ説――芸術実用主義
 芸術における物神崇拝
 芸術と思想
 芸術の中の思想
 科学とその表現
 芸術作品の自立性
 科学者と芸術家の条件のちがい
 芸術と政治
 芸術と技術

□II 芸術の構造
■1 芸術の形式と内容
 なぜ形式と内容を区別するか
 物の形式と表現形式との関係
 形式と内容とのつながり
 対象内容説
 認識内容説
 鑑賞者認識内容説
 形式主義
 哲学における形式主義の影響
 内容という考えかたの否定
 観念論的機能主義
 芸術の内容は作品そのものにある
 「内容を形成する実体」の問題
 形式と内容との矛盾

■2 芸術におけるフィクションとノン・フィクション
 フィクションとノン・フィクション
 科学はフィクションを拒否する
 芸術のフィクションと宗教のフィクション
 非敵対的な対象化と敵対的な対象化
 資本制生産と宗教との共通点
 フィクションの役割
 形式からの制約

■3 リアリズムとロマンチズム
 現実的な空想と非現実的な空想
 ロマンチズム
 リアリズム
 社会主義リアリズムをめぐって

■4 表現から鑑賞へ
 観念的な追体験と感情移入
 夏目漱石の「同化論」
 鑑賞者からの制約
 作者も鑑賞者になる

□III 現代の芸術
■1 映像芸術の空間と時間
 機械と表現
 作者の見かたと機械の見かた
 画面は「枠」を持っている
 認識にも「枠」がある
 なぜ文学には「枠」がないか
 表現が固定している場合の「枠」
 エイゼンシュテインの日本芸術論
 映画と演劇のちがい
 演劇の「枠」と映画の「枠」
 「動的正方形」スクリーンの提唱
 アメリカの観客の反応
 シネマスコープの問題
 テレビの「枠」
 時間の表現
 映画における「多彩な時間の創造」
 ロケーションの本質

■2 新大陸の新しい芸術
 行動喜劇の成立
 行動喜劇の映画的誇張
 発声アニメーション映画の登場
 ディズニー映画とその主人公
 アニメーション映画の思想
 ブルースの誕生
 ジャズの歴史
 ジャズは変わっていく

■3 古い形式と新しい形式
 「古い」形式ということ
 ルポルタージュをめぐって
 ブレヒトの「叙事詩的演劇」
 「演技の弁証法」の形式主義
 建築における機能主義の克服

■4 芸術の未来
 未来の社会と未来の芸術
 「芸術社会学」の行きすぎ
 映画至上主義
 芸術の「綜合性」は立体的である
 一方では綜合、他方では分化
 アマとプロとの区別は消滅する

◇あとがき

posted by liger-one at 17:25| Comment(0) | TrackBack(0) | The Tsutomu Miura Archives | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ものの見方考え方:目次

■第一講 真理は真理でなくなる
 大きな失敗をしないために
 学習するにあたっての注意
 公式は絶対的ではない
 真理が誤謬に変わってしまう
 教条主義あるいは公式主義におちいるな
 せまい経験にしがみつくな
 新興宗教は経験主義を悪用している
 物ごとの構造をつかんでいこう
 戦争の構造は変化して来た
 相対的真理と相対的誤謬

■第二講 弁証法的な考えかた
 教条主義と経験主義は相互に移行する
 あそこでは有益だがここでは有害になる
 精神構造の理解を無視する教条主義
 革命と社会主義における教条主義
 「あれかこれか」という考えかた
 「あれもこれも」という考えかた
 「形而上学的な考えかた」と「弁証法的な考えかた」
 形而上学的な願いを持つ人たち
 弁証法の看板をかけた形而上学

■第三講 見かけにだまされるな
 ひと目ですべてはわからない
 自分で自分をだます
 見かけと反対の場合を疑え
 同一性と差異性が結びついている
 未来を夢みるにも二種類ある
 新聞や雑誌にも二種類ある
 日和見主義にも二種類ある
 冒険主義から日和見主義への移行

■第四講 形式主義にならないように
 重点は内容におかれる
 しかし形式も無視できない
 形式主義というあやまり
 形式は内容にはたらきかける
 形而上学的な制服論
 教条主義は形式主義をうみ出す
 退却や妥協を否定する形式主義
 内容にふさわしい形式をえらぶ
 内容が変化すれば形式も変えてゆく

■第五講 矛盾には二種類ある
 不合理な思想の持つ矛盾
 矛盾には二種類ある
 マルクス主義の矛盾の規定
 非敵対的矛盾と敵対的矛盾
 毛沢東矛盾論にはあやまりがある
 非敵対的矛盾は調和を重視する
 指導する者とされる者との調和
 敵対的矛盾では闘争を重視する
 敵対的矛盾の非敵対的矛盾への影響

■第六講 量と質との関係
 量と質と二つの側面がある
 組織における量と質
 量の変化は質の変化をもたらす
 結節線による漸次性の中断
 生物は無生物から生まれた
 宗教における生命永遠説
 連鎖反応という考えかた
 質的変化を着実にすすめてゆく

■第七講 相互浸透に注意しよう
 しみこむということの重要性
 おたがいに相手の性格をかねそなえる
 「統一性」は矛盾の核心
 教えることを通じて教わる
 対立物の「同一性」ということ
 押しつけのあやまりと追随のあやまり
 指導する者とされる者との相互浸透
 指導機能の分担による浸透の発展

■第八講 相互浸透は発展していく
 資本家と労働者との相互浸透
 銀行預金というものの性格
 労働者が株を買うことの意味
 資本家の生活も労働者化していく
 浸透のかたちとしての中間機関
 中央の指令が実行できない場合
 政党と大衆団体との浸透が生む中間機関
 大衆団体の自主性をまもり育ててゆく

■第九講 矛盾をつかもうとする態度
 中国の「普遍的真理」ということば
 トロツキズムと中国の考えかた
 独立および平等とのつながり、および不平等との統一
 政党と労働組合も独立・平等であり、つながり、不平等である
 家庭の合理化による母親の「失業」
 職場の合理化による労働者の「失業」
 二つの面を区別して対策を考える
 企業を越えたところでの政治闘争を

■第一〇講 大きな観点から見なおしてみよう
 原水禁運動と政党の観点
 直接に働かせずに間接に働かす
 直接に見たりきいたりできないものを間接に見たり聞いたりする
 お金をお金でないものに変えて使う
 そこには一貫したものが存在する
 弁証法「否定の否定」を重視する
 スターリンは「否定の否定」を無視した

■第一一講 何が人間を変えるか
 自然の中での否定の否定
 一粒の麦もし死なずば
 労働を対象化する生活
 現代の社会における労働のありかた
 人間は相互につくり合う
 精神的な交通での否定の否定
 観念的な自分の二重化
 観念的には猫にもなる

■第一二講 唯物論とタダモノ論
 人間の精神の能動的な役割
 世界観としての唯物論と観念論
 唯物論のいろいろな学派
 パヴロフの機械的唯物論
 精神活動の解釈から観念論へ
 意志の観念的な対象化について
 認識論の必要性
 毛沢東矛盾論の形而上学的な考えかた
 矛盾論のあやまりから粛清へ

posted by liger-one at 17:22| Comment(0) | TrackBack(0) | The Tsutomu Miura Archives | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月22日

激闘!親不知(3)

しかしこの親知らずは、抜いた後、さらに「先」があったのである。あごの骨を削ったせいか、しばらく経っておたふく風邪よろしく顔が片側だけ腫れ上がってしまったのだ。

内側と外側からの二重の痛みが治まるまでほぼ1週間、顔の腫れが完全に退くまでにはさらに時間がかかった。顔の輪郭が変わるなど人に見せられたものではなかったが(;==)、この辛い時期を乗り越え、ようやく普通の生活ができるようになったのである。

親知らず、まさに噂に違わぬ痛みであったことは、永遠に記憶したくとも、しかし今ではほとんどその痛みを忘れてしまっているのであった・・・(==)(爆)。
posted by liger-one at 23:12| Comment(4) | TrackBack(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

激闘!親不知(2)

程なくして親知らずを抜く「その日」がやってきた。席に座ってしばらく待つと、リクライニングしない垂直な姿勢のまま、“手術”が始まった。

まず麻酔をヴスヴスと大量に打ち込まれる。圧力がかかると痛みが走るが、10回も打ち込まれると次第に感覚がなくなってくる。

次に露出している歯の先端をメスで切り取る。輪切りである(爆)。さらに歯の周りの歯茎をメスで切り裂いていく。それから歯茎と歯の間に隙間を作るために、あごの骨をドリルでヴォリヴォリ削っていたような気がするが、もはやはっきり覚えていない(というか、覚えていても思い出したくない。)

あとは例のごとく“大工仕事”である。ノミ(?)を使い、てこの原理でヴァキヴァキと歯の周りを掘り起こしていく。もう少しというところでなかなか抜けないので、時折ドリルを使う。1時間近く経って、ようやく本体を“発掘”。最後にメスで切った箇所を、針と糸で閉じて完了した。あれだけ打ち込んだ麻酔もこのころには痛みで切れかかっていて、おまけに垂直の姿勢のまま抜歯したので、なかなか辛いものがあった。とはいえ、麻酔が効かない箇所があった歯を抜いた時の痛みに比べたらよほどマシだったが・・・(そのときは、この親知らずを抜くよりも時間がかかった)。(続く)
posted by liger-one at 23:09| Comment(0) | TrackBack(0) | カテゴリ無し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

激闘!親不知(1)

だいぶ前の話になるが、去年と今年にかけて上下の親知らずを1本ずつ抜いた。

上の親知らずは思っていたよりもあっさりと抜け、予後も順調だった。ところが下の親知らずの場合は、残念ながらはそうはいかなかった。

周知の通り、親知らずは他の歯と比べてまともに生えてこないことが少なくない。斜めに生えていたり、聞いたところでは真横に生えてくることもあるという。すでにレントゲンでわかっていたが、私の場合は斜めに、それも中途半端に生えてきていたので、普通の方法では抜けないことは100%保証されたも同然である(爆)。

某雑誌によると、このような生え方は「危険な生え方」なのだと書いてあった。なにせ聞いたところによると、このような歯を抜く場合、顎の骨を少し削る必要があるため、まれにではあるが神経が傷つき、神経麻痺を起こす可能性があるらしい。とはいえ、この親知らず、すでに虫歯になりかけていたので、このままほっといても虫歯に冒されて苦しむだけである。選択の余地はない。

かくして他の歯の治療が進む中、親知らずの抜歯の日は刻一刻と近づいていくのであった・・・(;==)。(続く)
posted by liger-one at 23:06| Comment(0) | TrackBack(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月19日

denim:CSS変更

いい加減CSS(テンプレート)を「Winter」から別のものにしたいと思っていたので変えることにした。選んだのは「denim」。本当はもっと春らしいものにしたかったが、これはこれで悪くはないなと思う。それにしてもラヴログが去年の4月以降(!)テンプレートの追加を止めてしまっているのは、どうしたものか。1年近く経つのだから、そろそろ新しいテンプレートの追加があっても良さそうなものだが、そこまで手が回らないのだろうか。

(余談)ボンタさんのブログのコメントにも書いたが、近日中に歯関係の記事を投稿予定。さて、どんな記事にしませうか・・・(=^・・^=)。


posted by liger-one at 23:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 更新状況 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月17日

真逆の判決

読売新聞の記者の証言拒否に対し、東京地裁が下した判決に関する3月14日(火)の記事
<読売証言拒否>取材源が公務員なら認めない 東京地裁決定 」(毎日新聞)

その東京地裁の判決から3日後の今日(3月17日(金))の記事
<東京高裁>NHK記者の証言拒絶認めた地裁決定を支持 」( 毎日新聞)

東京地裁の判決は、わずか3日で東京高裁に“全面否定”されたのだった・・・(==)。
posted by liger-one at 23:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。