2011年09月22日

『芸術とはどういうものか』(新装版)

三浦つとむの『芸術とはどういうものか』が、新装版として明石書店より8月に復刊されている。1983年の至誠堂選書版から28年ぶりの復刊になるが、装丁もソフトカバーからハードカバーとなり、新たに亀井秀雄氏(北海道大学名誉教授、小樽文学館館長)による解説が付されている。三浦つとむの仕事としてよく知られるのは言語学だが、芸術論の方面でも業績を残したことはもっと知られても良いと思う。
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2007年06月01日

現代言語学批判:目次

 
対象から表現に至る言語の過程的構造に着目し、独自の理論を展開した三浦つとむ。その理論を継承・発展させ表現構造の謎を解く。
(カバー帯)

・・・ここに集めたような論文は、学問的な価値が大きいだけでなく、謎解き読物としても面白く有益です。上田氏の送り仮名論も、語形明示説や分担表記説の極限形態を批判するところまで行くと、笑いごとではないと判ってはいても、落語より面白くて腹をかかえます。私は病院のベッドで宮下、上田、鈴木氏から別の論文をいくつか読ませていただきましたが、「灰色の脳細胞」のリハビリテーションに役立ったことを感謝しております。

学問の仕事をする者にとってもっとも嬉しいことは、「何とか賞」や「何とか章」をもらうことではなくて、自分の理論を正しく理解して役立ててくれる者が出ることです。それゆえこの論文集の諸氏が私の理論を役立てて下さったことを嬉しく思い有難いと思っております。(三浦つとむ「編集者あとがき」より)



目次

■なぜ送仮名を破壊するのか 上田博和 ※1

第一章 送仮名の本質
 一 訓読みと送仮名
 二 振仮名と送仮名
 三 訓と訓読み
 補論一 振仮名と送仮名・補遺
 補論二 漢字の読み書きの出題法・批判
第二章 送仮名の認定
 一 二つの送仮名観――訓読み表示説と語形明示説――
 二 新戦後版の語形明示説――
 三 「送仮名は片仮名にも付く」か――語形明示説の極限形態――
第三章 送仮名法の諸問題
 一 <含む語規定>論
   ――<含む語規定>の拡大による<語尾原則>適用例の縮小
 二 <語尾・語幹>論――時枝誠記説の批判と継承――
 三 <語尾原則論>――<語尾>概念の誤りによる<語尾原則>の崩壊
  (一)「語尾=変化する部分」説の文字通りの適用
  (二)「語尾語幹区別無し」説の問題
  (三)<形容詞>「シク活用」説の無視
  (四)「不変化語尾」説の正体
 四 送仮名の破壊と抹殺――分担表記説の極限形態

■中国人は、語をどのように分類してきたか――『馬氏文通』以前―― 内田慶市
はじめに
第一章 「辞」或いは「詞」について
第二章 「助字」について
第三章 「虚字」「実字」について
第四章 『馬氏文通』以前における語の分類

■変形文法の展開とホーキンズの冠詞論 宮下眞二
はじめに
第一章 変形文法の展開
 一 変形文法の展開
 二 統語構造と意味
 三 非文とは何か
 四 ホーキンズの変形文法評価
第二章 ホーキンズの冠詞論
 一 はじめに
 二 定冠詞は名詞の対象を特定するか
 三 定冠詞と不定冠詞との基本的相違点
 四 冠詞の本質
 五 修飾語句を伴う名詞と定冠詞
 六 定冠詞は不定冠詞の変形か
 七 不定冠詞は何故前方照応しないか
 八 定冠詞と指示代名詞との違い
 九 結び

■サアルの言語論――認識の検討を避けて認識と言語との謎が解けるか――宮下眞二
はじめに
第一章 変形文法と日常言語学派
第二章 サアルの言語論

■フランス語時称体系試論 鈴木覚
はじめに
第一章 言語表現の成立条件
第二章 時称とは何か
第三章 現在形
第四章 複合過去形、近接過去形、近接未来形
第五章 単純過去形と半過去形
第六章 単純未来形、条件法現在形、接続法現在形、同半過去形
むすび

■スペイン語の ser と estar 鈴木覚
第一章 学者も困る ser と estar の区別
第二章 繋詞としての ser と estar
第三章 存在を表す ser と estar
第四章 不定詞および分詞における判断辞の過程的構造
むすび

■精神医学と言語学――言語障害の研究に言語学は何故寄与しえないか 黒川新二
はじめに
第一章 失語症研究と言語学
 一 脳病理学と失語症研究
 二 言語学者ヤコブソンの失語理論
第二章 言語習得過程はどう研究されているのか
 一 幼児言語研究の立脚点
 二 形式主義から内容主義へ

編集者あとがき 三浦つとむ ※2
表記についてのあとがき(文責・宮下眞二)※3


※1 この論文のみ旧かな(正かな)で収録されている。宮下氏の「表記についてのあとがき」によると、原稿では漢字も旧字(正字)だったという。また、内田・宮下・鈴木氏の論文も、原稿では略字(新字)混じりの旧かなで書かれていたと述べられている。

※2 選集3巻『言語過程説の展開』の巻頭に掲載されている「『言語過程説の展開』から『日本語はどういう言語か』さらに『認識と言語の理論』へ」は、このあとがきを元に、加筆・削除などの修正を加えたものと思われる。

※3 このあとがきでは、原稿で使用されていた旧字旧かな(正字正かな)を印刷の段階で新字新かなに変更されたいきさつと、日本語の表記に関する彼らの考え方が述べられている。以下はその抜粋。
私達は戰後の學校教育を受けたものですが、所謂國語國字改革に對して、それが「書き言葉の簡易化、國語教育上の負擔の輕減、一般民衆の智能の向上」と云ふ目的に反して、日本人の言語生活を妨げ破壊するに終つてゐることを經驗上痛感せざるを得ません。その上に私達は分野は異なれ、言語を研究して來ましたから、所謂國語改革の理論的支柱となつた歴史的比較言語學及び構造言語學の言語觀は、音聲言語を偏重し文字言語を輕視する一面的な言語觀であり、かつ言語を言語と云ふ表現自體ではなくて言語を媒介する言語規範と誤解したために、現實の言語の表現理解の活動を研究の對象とすることが出來ず、それ故に言語生活上の問題である國語問題を解決できる筈がないこと、それどころか國語問題の一因ともなつたことに厭でも氣附かざるを得ませんでした。

言語は言語規範に媒介された表現でもあります。音聲言語も文字言語も等しく言語でありどちらか一方が他方の從属物である譯ではありません。音聲言語も文字言語も、それぞれ人間の生活に必要に應じて人間の多様な思想を精確に表現すべく發展させなければなりません。その上で兩者の對應關係を發展させねばなりません。


なお、宮下氏のあとがきの漢字はできるかぎり原文に即して入力したが、異字体を含む一部の旧字は新字にしてある(というより、そうせざるを得なかったのだが)。新字にした漢字は、(1)機種依存文字の漢字、(2)ユニコードにはあるがシフトJISにはない漢字、(3)エディタ(テキストエディット等)での入力自体ができなかった漢字(グリフ入力の対象になっている漢字。これは異字体に多かった)の3種。

(090313追記)宮下氏のあとがき作成時の、私の入力ミスを修正しました。

誤「音聲言語を偏重し文字言語をする輕視する一面的な言語觀」
正「音聲言語を偏重し文字言語を輕視する一面的な言語觀」

誤「その上で兩者の對應關係を發展させなければなりません。」
正「その上で兩者の對應關係を發展させねばなりません。」
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2007年05月20日

芸術論:目次

言語による鑑賞用表現=文学を原理的に捉えて表現内容と表現形式の関係を考察し、芸術についての一般理論を導きだす。
(帯コピー)


芸術論研究の歴史

新大陸の新しい芸術 ※1
  行動喜劇の成立
  行動喜劇の映画的誇張
  発声アニメーション映画の登場
  「ニコニコ大会」
  ディズニー映画とその登場者
  アニメーション映画の思想
  ブルースの誕生
  ジャズの歴史
  ジャズは変わっていく

正岡子規の認識論 ※2
 一 正岡子規は客観的に「自己の死といふ事を見る」
 二 <写生>における観念的な立場の移動

漱石のイギリス留学をめぐって ※3
 一 漱石の煩悶はどこから生れたか
 二 小説家漱石はどんな態度をとったか

夏目漱石における『アイヴァンホー』の分析 ※4

中井美学・葬送の辞 ※5

認識と芸術の理論

芸術の周辺
芸術と技術
芸術学の変革――北条元一氏の芸術認識論批判――
マルクシズムは死んだか?
科学者の観点と芸術家の観点
 一 芸術論と機能主義
 二 蔵原のヘーゲル的解釈
 三 科学と芸術との内容のちがい
 四 蔵原の主題論と受動的発想
 五 科学活動における観点の特殊性
 六 「前衛の観点」は科学者の観点
 七 『真空地帯』論争の「観念的公式主義」
 八 蔵原は「全体性」を要求する
 九 丸山静は蔵原の「全体性」を主張する
 十 「文学そのもの」とは何か
芸術対象論から芸術認識論への転落――ルフェーブルの『美学入門』――

II
研究方法と創作方法の共通点
夏目漱石の「空間短縮法」
野間宏の小説論
 一 サルトルの<全体>論――「悪全体」の現実世界への押しつけ
 二 小説家のありかたの特殊性
 三 野間の持ち出した<磁場>の世界とは何か
 四 テーマ <仕掛け> <複眼> 説と言葉 <くぐりぬけ> 説の正体
 五 小説論と絵画論とのくいちがい
モンタアジュ論は逆立ち論であった
表現における「枠」の問題
ギャグの論理
MY UNDERSTANDING MEDIA
映画における「時間の創造」
中井美学の「独創」について
反<文学>論の系譜
リップスの感情移入論
事件の典型としての把握――ミス・マープルに学ぶもの――

III
浪花節の歴史的性格――les miserables――
落語論

あとがき


※1 『芸術とはどういうものか』(至誠堂)所収「III 現代の芸術・2 新大陸の新しい芸術」に一部加筆したもの。1939(昭和14)〜41(昭和16)年にかけて三浦がまとめた「戦時中に印刷した三冊の論文集」(「芸術論研究の歴史」)の一つ。
※2 『文学・哲学・言語』所収「文学から何を学んだか」の一部。なお「芸術論研究の歴史」によると、「『正岡子規の認識論』以下三篇は戦後に活字となったが、本質的には戦時中に書いたものの復原」とのこと。
※3 『文学・哲学・言語』所収
※4 『現実・弁証法・言語』所収
※5 『京都大学新聞』1964(昭和39)年12月14日号に掲載。「ところが六四年になると、中井正一の昔の友人たちによって彼の美学かかつがれ、ジャーナリズムの問題になった。私は『京都大学新聞』一二月一四日号に「中井美学・葬送の辞」を書き、落語の「らくだ」にたとえて、「死骸にカンカンノウをおどらせて酒やさかなをせしめる人間」に苦言を呈した。中井はモンタアジュ論にいかれて、映画における光学的過程を表現過程にすり変えたにもかかわらず、誰もそのことを指摘できなかったのである。」(「芸術論研究の歴史」)
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言語過程説の展開:目次

認識の成立から言語表現にいたる過程的構造を解明した主著、『認識と言語の理論』第一部、第二部を合わせてここに収録する。(帯コピーより)

『認識と言語の理論』は、「第一部」「第二部」が別冊で出版されましたが、合本で出てもいいように、索引も共通のものにしました。のちになってから、少部数でもよいから、合本して布装にしたものをこしらえてもらえないかと希望したこともありましたが、この希望は実現しませんでした。今度の選集版でようやく実現したわけで喜んでおります。(「『言語過程説の展開』から『日本語はどういう言語か』さらに『認識と言語の理論』へ」)


『言語過程説の展開』から『日本語はどういう言語か』さらに『認識と言語の理論』へ

認識と言語の理論
まえがき
第一部  認識の発展
第一章 認識論と矛盾論
  一 識論と言語学との関係
  二 認識における矛盾
  三 人間の観念的な自己分裂
  四 「主体的立場」と「観察的立場」
  五 認識の限界と真理から誤謬への転化
  六 表象の位置づけと役割
  七 予想の段階的発展――庄司の三段階連関理論
 
第二章 科学・芸術・宗教
  一 法則性の存在と真理の体系化
  二 仮説と科学
  三 概念と判断の立体的な構造
  四 欲望・情感・目的・意志
  五 想像の世界――観念的な転倒
  六 科学と芸術
  七 宗教的自己疎外

第三章 規範の諸形態
  一 意志の観念的な対象化
  二 対象化された意志と独自の意志との矛盾
  三 自然成長的な規範
  四 言語規範の特徴
  五 言語規範の拘束性と継承
  六 国際語とその規範

第四章 パヴロフ理論とフロイト理論の検討
  一 パヴロフの人間機械論と決定論
  二 フロイト理論の礎石
  三 不可知論と唯物論との間の彷徨
  四 フロイトの基礎仮説――「エス」「自我」「上位自我」
  五 無意識論と精神的エネルギー論
  六 夢と想像
  七 性的象徴
  八 「幼児期性生活」の正体
  九 「エディプス・コンプレックス」の正体
  十 エロスの本能と破壊本能
 十一 右と左からのフロイト批判

第二部 言語の理論
第一章 認識から表現へ
  一 表現――精神の物質的な模像
  二 形式と内容との統一
  三 ベリンスキイ=蔵原理論
  四 対象内容説・認識内容説・鑑賞者認識内容説
  五 言語学者の内容論
  六 吉本と中井の内容論
  七 記号論理学・論理実証主義・意味論
第二章 言語表現の二重性
  一 客体的表現と主体的表現
  二 記号における模写
  三 小林と時枝との論争
  四 言語における「一般化」
  五 概念の要求する矛盾
  六 言語表現と非言語表現との統一
第三章 言語表現の過程的構造(その一)
  一 身ぶり言語先行説
  二 身ぶりと身ぶり言語との混同
  三 言語発展の論理
  四 「内語」説と第二信号系理論
  五 音声と音韻
  六 音声言語と文字言語との関係
  七 言語のリズム
第四章 言語表現の過程的構造(その二)
  一 日本語の特徴
  二 「てにをは」研究の問題
  三 係助詞をどう理解するか
  四 判断と助詞との関係
  五 主体的表現の累加
  六 時制における認識構造
  七 懸詞、比喩、命令
  八 代名詞の認識構造
  九 第一人称――自己対象化の表現
第五章 言語と文学
  一 作者に導かれる読者の「旅行」
  二 言語媒材説と芸術認識説
  三 鑑賞の表現としての俳句の構造
  四 文体と個性
  五 芸術アジ・プロ説――政治的実用主義
  六 生活綴方運動と「たいなあ」方式
  七 上部構造論争――芸術の価値の基礎はどこにあるか
  八 本多の「人類学的等価」とマルクスのギリシァ芸術論
第六章 言語改革をめぐって
  一 言語観の偏向と言語改革論の偏向
  二 文字言語に対する見かたの対立
  三 表音文字フェティシズムからの幻想
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2007年03月11日

ものの見方考え方:目次

人生記録雑誌への協力

■こう考えるのが正しい
まえがき
序論 正しい考え方についての科学を学ぼう
第一章 「あれかこれか」と「あれもこれも」
 1 ライオンが強いか鉄砲が強いか
 2 どういう条件で結論を出したかをしらべること
 3 形而上学的な考えかたと弁証法的な考えかた
第二章 コトワザの中の弁証法
 1 「悪に強きは善にもと、世のたとえにもいうごとく」
 2 ほんとうの正直と「バカ正直」
 3 あやまちのマイナスがプラスになるように努力しよう
 4 イロハガルタは毛沢東につながっている
 5 全体と部分との関係を理解すること
 6 妥協の問題――まわりみちの重要性
 7 全体を見ながら決定的な部分に力を注げ
第三章 一面では変りがないが多面では変っている
 1 見かけが変っても根本的な性格は変らない場合
 2 見かけは変らないが根本的な性格が変っている場合
 3 働くこと自体に不満はないのだが……
 4 労働者が株を買うことの意味
 5 対立物の相互浸透ということ
第四章 指導と自主性は両立する
 1 指導者についてのあれかこれか
 2 指導者は協力者でなければならない
 3 人多き人の中にも人ぞなし
 4 組織における対立物の相互浸透
第五章 量と質との関係について
 1 量質転化の法則――部分の質は変らないが全体の質が変る
 2 牛若丸と飯つぶ
第六章 新興宗教の理論をうちやぶるために
 1 病気はなおるかなおらないか
 2 部分的な真理を全体におしひろげる
 3 人間のありかたを自然に押しつける
 4 全宇宙は天皇のものであるという結論
 5 人間は生れ変ると創価学会は言うが……
 6 宗教は幸福をもたらすか
第七章 矛盾とはどういうものか
 1 矛盾の本質・矛盾の二つの種類
 2 矛盾は立体的な構造をとる
 3 矛盾はたがいに影響しあう
あとがき

「影の王国」をめぐって

■1たす1は2にならない
失敗を科学する
 失敗をしたときはだれでもはずかしい
 失敗を科学すれば
なぜ失敗するかを考えよう
 失敗にもいろいろござる
 人間に失敗はつきもの
経験は万能の神ではない
 仲良くしていては競争にならない
 経験にだまされる
死んだら神さま仏さま
 推理もゆきすぎると
 苦しいときの神だのみ
 死んだら神さま仏さま
うまい話には気をつけろ
 冬来たりなば春遠からじ
 くりかえしか偶然か
「純粋」に考えると失敗する
 地上を走っても地下鉄とは
 「不純」にもよいことがある
 木が三本以上あれば森というか
“いじわる"にしかとけない問題
 のろのろ走っても高速道路
 1たす1は2にならない
 常識のおとしあな
なぞときのすすめ
 「あれ」でもあり「これ」でもある
 ああ失敗は成功のもと
あとがき

■『こころとことば』※
もう一人の自分(その一)
もう一人の自分(その二)
もう一人の自分(その三)
もう一人の自分(その四)
もう一人の自分(その五)
打ち消しのことば
過去の回想と未来の推量
もう一人の自分との対話
二重うつし

三浦つとむ著作目録

※単行本の7〜15を採録
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2007年02月12日

レーニン批判の時代:目次

レーニンの真理論、国家論の誤りはどこから生れ、スターリン、毛沢東へどのように受けつがれてしまったか(帯コピーより)

私は戦前の1930年に岩波文庫版でレーニンの『唯物論と経験批判論』を読みました(当時白揚社版もあった。)が、そこに述べられている真理論には納得できませんでした。『反デューリング論』のそれにくらべて修正であり退歩しているとしか思えなかったからです。……しかしミーチンはじめソ連の哲学者は、……逆にレーニンのほうが進歩していると解釈して、「哲学のミーチン的段階」と名づけてまつりあげ、日本でも永田広志や蔵原惟人が口まねしました。何とも滑稽な光景でした。……
……この真理論についての私の批判は、まず60年に理論同人誌『現状分析』に「真理論におけるレーニンの誤り」を書くことではじまり、さらに『現代の眼』63年10月号の論文「レーニンから疑え」で問題にした。(「レーニン真理論の批判」より)

私は国家権力を一つの組織として考えているうちに、レーニンがエンゲルスの国家論を誤読したためにそれ以後の国家論、スターリンのプロ独裁論や神山茂夫の天皇制論などがいわば「国家機構説」で意思論の脱落していることに気づきました。……この時代の私の仕事は原口清氏の明治維新史研究に影響を及ぼし、62年に書かれた氏の名著『戊辰戦争』の「まえがき」の中には次のように記されている。
「本書の史実の具体的な叙述の背後にある理論的な諸問題についていうならば、本書は、ここ数年来のマルクス主義理論戦線における新しい諸傾向のなかから多くのものを摂取している。」(「レーニン国家論の批判」より)


序論 レーニンのヘーゲル的偏向とその影響〔1〜6〕
レーニン真理論の批判
真理論におけるレーニンの誤り――新版『哲学教程』の書評にかえて――〔1〜3〕

レーニンから疑え
第 1 部
 革命家と政治家の裂目
 レーニンから疑え
  1 ソ連のマルクス主義の中国のマルクス主義への浸透
  2 レーニンのフォイエルバッハへの後退
  3 エンゲルスの真理論のレーニンによる修正
  4 レーニンの矛盾論の持つ欠陥
  5 毛沢東矛盾論はさらに後退する
  6 矛盾論の誤謬は粛清の論理を生む
  7 非敵対矛盾の無理解と国家論の修正
  8 社会主義的賃金論はふみにじられている
 レーニンをどう学ぶか〔1〜3〕
 矛盾論争はなぜ行きづまったか
  1 矛盾論が実践上の課題となる  
  2 非敵対的矛盾は永遠に存在する――ステパニヤン
  3 「調和性」の力も原動力だ――ロージン=トゥガリノフ
  4 原則論者たち――ステファーノフおよび毛沢東
  5 非敵対的矛盾とその「克服」とを同一視――ソボレフ
  6 矛盾論争はかくして自然消滅した
  7 社会主義社会の基本矛盾は何か
第 2 部
 『反デューリング論』をめぐって〔1〜3〕
 マルクス主義における「交通」概念〔1〜6〕
 唯物史観と意思論――観念的な原動力と、原動力の原動力をめぐって、あわせて、柴田高好氏へ――〔1〜6〕
 四つの書評
  エリック・ホッファー『大衆』
  大熊信行『家庭論』
  柴田高好『マルクス主義政治学序説』
  本多秋五『転向文学論』
第 3 部
 弁証法とは何か
  1 エンゲルスの二種類の規定
  2 弁証法的な性質と弁証法とは異る
  3 ミーチン=唯研的偏向
  4 俗流反映論から観念論へ
  5 デューリングとミーチン=唯研との一致
  6 レーニンの誤謬――論理学、弁証法、認識論の同一視
  7 山田宗睦のミーチン批判の弱点

レーニン国家論の批判

マルクス主義の基礎
序論
第一部 弁証法的唯物論と史的唯物論
 第一章 唯物弁証法の発見者ヨゼフ・ディーツゲンをめぐって
  1 「驚異に値する思想」を持った「労働者哲学者」
  2 いまの哲学者は真理と誤謬とを統一においてとりあげない
  3 いかなることに対しても「なぜか?」と質問すべきである ――スターリンの土台根絶論はどうしてうまれたか
  4 自ら進んで対象ととりくまねばならぬ
  5 マルクスは「二分論」スターリンは「三分論」
 第二章 マルクス主義における「生産」の概念
  1 マルクス主義の「生産」は財貨をつくりだすことに限られない
  2 生産過程は「流れと社会的範囲とにおいて」見なければならない
  3 河上肇博士のあやまりとスターリンのあやまりとの一致
  4 櫛田民蔵氏は河上肇博士を批判する
  5 スターリンと「生産力論」
  6 エンゲルスの家族観はあやまりであったか
 第三章 毛沢東の『矛盾論』におけるあやまりはどうしてうまれたか
  1 『矛盾論』への疑問
  2 ソヴェト哲学者のレーニンに対する個人崇拝とその影響
  3 対立物の同一性と差異性に対する同一性との混同
  4 弁証法における相互浸透とそうでない相互浸透との区別
  5 ヘーゲルの否定の否定に対するマルクスの評価

第二部 マルクス主義国家論
 第一章 国家論の二つの曲り角 ――レーニンのエンゲルス誤読とスターリンの機能主義――
  1 スターリン言語学の論理的な欠陥の一つとしての機能主義
  2 マルクス主義の国家論ならびにレーニンのエンゲルス誤読
  3 プロレタリアートの独裁についてのスターリンの機能主義的解釈ならびに日本その他の諸国への影響
  4 プロレタリアートの独裁と労働組合の役割
 第二章 中国における国家論の前進と限界
  1 中国はプロレタリアートの独裁である
  2 労農民主独裁とは何か
  3 毛沢東のふりわけ独裁論はどうしてうまれたか<
 附録 事件の典型としての把握――ミス・マープルに学ぶもの――

マルクス主義国家論に関する手紙――『現状分析』編集委員会へ――
続・国家論に関する手紙
丸山政治学の論理的性格――個人意思・階級意思・国家意思の区別と連関――
国家論への関心
平和委員会への参加
討論し合おう――現代思想研究会に参加した理由――
共産党構改派の党組織論は正しいか
「党員協議会」の解党主義的偏向
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2007年01月02日

スターリン批判の時代:目次

「権威とされたスターリン言語学論文への反逆―――三浦言語論、表現論の出発点をなす初期の重要論文を収む。」
(帯コピーより)

湯河原の病院で大きな動脈瘤があると知ったときには……探偵小説の『試行錯誤』を読んでいたこともあって、これが破裂しておれも霊園行きかと覚悟しました。死後に昔書いたものを集めて出版してくれるだろう。それは有難いが、当時の詳しい事情を知らずに見当違いの編集をされ解説をつけられるのは困る。おまけに……「三浦つとむ研究」をする人まで出て来た……ので、悪友平田君のことや掛札さんからの影響も知らず、確実な材料もなしに私の昔の生活や思想について勝手な憶測をしてもらいたくないと思った。幸い医療センターでの手術に成功して生きのびたので、このように自分で編集したり解説したりすることができたわけです。
(「まえがき」より)


まえがき

■第一部
私の独学について――ツルカメ算と探偵小説からの出発
 独学の現象と本質  優れた武器としての弁証法の発見
 暗号学から言語学へ 民科の異端分子となる
 独学者にありがたい『試行』の存在

思い出のいくつか
 悪友平田一郎君の思い出 気味の悪い予言
 昔の日本橋 「西洋阿呆陀羅経」 「臨床探偵小説」

時枝理論との出会い

■第二部

時枝理論への民科の言語学者への攻撃
 スターリン言語観の日本における一解釈―ノアレの理論に関連して―(三枝博音)

時枝言語学の功績
 奇妙な忠告
 変形文法論についての感想

スターリンの言語学論文をめぐって
 基礎理論把握の重要性――芸術論争・言語論争――
 批判を述べた動機
 シンポジウム報告要旨 スターリンの見解と私の見解とはどこがちがうか
  A 史的唯物論の基礎、マルクスの公式に対する解釈の当否
  B 言語の本質について
  C 史的唯物論の客観的歪曲と言語理論における客観主義とのつながり。実践論、認識論、表現論における形而上学的偏向との闘争
  D 「弁証法的唯物論と史的唯物論」とマルクス主義とのくいちがいについて厳密に再検討する必要。ブルジョア言語学(特に時枝誠記による日本語の分析)の成果を正しく理解しその貴重なものを摂取すること。
  E 時枝誠記氏によるスターリン言語論批判をいかに学ぶか。

なぜ表現論が確立しないか〔1〜6、解説〕

スターリンは如何に誤っていたか〔1〜6、解説〕
 スターリンの英訳本
 処分についての予想

除名決定について

言語における矛盾の構造――マルクス主義における言語学――
 一 商品と言語との共通点
 二 言語表現の二重性――超越的表現と感性的表現との統一
 三 ソシュール理論の認識論的性格
 四 いわゆる「ラング」なるものの正体――直接表現される認識と表現を媒介する認識との分離

スターリン批判の反応
 骸骨の踊り
 「更年期障害」説
 古在由重氏の賛成
 偽装除名説
 柳田謙十郎氏と私
 神山茂夫氏の『解説日本革命』と私
 「弁証法をゆがめる」のは誰か
 批評への反論
 文学論争への参加
 マルクス主義文学理論の盲点――高橋義孝氏の問題提起に関して

■三部
真善美社と私

哲学入門
 初版のまえがき
 新版のまえがき
 その一 科学的な哲学はやさしく、面白く、たいへん役に立つものである
 その二 ベンケイとウシワカマルとは、どちらがえらいか知っていますか?
 その三 落語の「一つ眼の国」と芝居の「河内山」は、どのような真理をおしえるか?
 その四 「王さまはハダカぢゃないか!」と叫んだのは、大人でなく子供であった
 その五 本を読んで病気がなおるという ほんとうだろうか?
 その六 自然も、社会も、思想も、そのありかたはかわっていく

『パンのみによって生きるにあらず』の問題
小説(探偵小説)の中の好きな人間
昔の仕事
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2006年10月10日

唯物弁証法の成立と歪曲:目次

1991(平成3)年2月、三浦つとむの没後に勁草書房より出版された『三浦つとむ選集』の1冊(補巻)。編者は板倉聖宣氏。生前の三浦の構想を元に編者が選んだ既発表論文16編に、三浦の死後に発見された未発表論文「認識論はどういう科学か」を加えた全17編で構成される(帯コピーの「18論稿」は誤り)。巻末には「三浦つとむ略年譜」と「三浦つとむ著作目録」も収録されている。流通数が少ないのか、『選集』の中でも比較的入手しにくい。

マルクス主義者として偽物を摘発し続けて、今日なお光芒を放つ三浦理論珠玉の18論稿を未発表論文を含めてここに公刊。(本書帯コピー)


はしがき(板倉聖宣)

■唯物論における「ミーチン=唯研的偏向」の克服〔一〜五〕
■「不明瞭なものに関する理論」をめぐって〔一〜五〕
■第二インターナショナルの亡霊――俗流唯物論から修正主義へのマルクス主義の後退〔一〜四〕
■大正時代の学者たち―唯物史観研究史の一齣〔一〜六〕
■「主体性」論の意味するもの――人間にとって「主体性」とは何か
 「主体性」論の重要性
 小田切の主張と除村の反論
 個人の「主体性」の解明を拒否
 蔵原理論をめぐっての反論
 形而上学的俗流反映論
 哲学の歴史は何を教えるか
 マルクス主義者は真の唯物論者か
 マルクス主義者と主体性
 「修正主義」と仮説実験授業
 仮説実験授業の意義
■実存主義的マルクス主義者の妄想――科学主義・人間主義とマルクス
 哲学も哲学者も不要になったこと
 カントの物自体は科学者のいう物質ではないこと
 竹内芳郎の「全体化」的弁証法のこと
■唯物弁証法の成立と歪曲〔一〜五〕 
■ヘーゲルの亡霊――何がアルチュセールをそうさせたか
■無理が通れば道理ひっこむ――唯物弁証法の歪曲の歴史から
 一 岩波小辞典の中の<相互浸透>の解説
 二 揚献珍はどうして罵倒されることになったか
 三 哲学者にはマルクス主義の古典が読めない
■戦後マルクス主義の軌跡――官許マルクス主義とその没落〔一〜五〕
■科学と方法――一般論と一般法則の位置づけ
 一 なぜ一般論や一般法則を必要とするか
 二 像についての一般論と否定の実践
 三 一般から特殊への追跡と吟味
 四 なぜ一般論や一般法則が軽視されるか
■ヘーゲルの法理論とマルクス主義――実践における意思の対象化の問題
■認識論はどういう科学か
 一 哲学での認識論と科学での認識論とのちがい
 二 マルクス主義哲学者はどんな認識論を提出しているか
 三 日常生活での言語はどんな認識を表現しているか
 四 認識における分解と綜合との統一
 五 具体から抽象へ「のぼっていく」道と抽象から具体へ「おりてくる」道
       ◇        ◇
■便乗の論理――あるテキストの分析による例証〔一〜五〕
■レッテル論
■日本語は膠着語である〔一〜二〕
■時枝誠記(ときえだもとき)

あとがき(横須賀壽子)
三浦つとむ(三浦二郎)略年譜
三浦つとむ著作目録

(注)目次中の■・〔〕内・節見出しは私が付した。
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2006年07月09日

日本語はどういう言語か(初版):目次

しばらく前、縦書きと横書きの違いについて調べるために『日本語はどういう言語か』を読み返していたら、初版と新訂版とでは目次と内容の一部でかなりの相違があることに気がついたので、改めて初版の目次を追加することにした。

ところで三浦が編集した『現代言語学批判』(勁草書房)には、この著作にまつわるいきさつが記されている。やや長いが、一部抜粋して紹介したい。

戦後、スターリンの言語学論文を批判した後に、私は自分の言語理論を体系的にまとめる仕事をはじめました。これはいわば時枝さん(注・時枝誠記)の研究と私の研究とを合体したものですから、『言語過程説の展開』と題して、はじめの部分を自分でプリントの分冊にこしらえて何回か配りましたが、世界のどんな言語学者もまだ論じたことのないものだという自信があったので、やはりちゃんとした本で出版したいと思い、一冊分の原稿を書きあげました。
(編集者あとがき)。


つまり、もとはれっきとした学術書として書かれていたというのである。ところが知人が経営していた出版社に原稿を持ち込んだところ、「『私のところでは出せない』」(同上)と原稿を返されてしまう。書店を経営する知人によると、大学の教科書などと異なり「『一定部数の売れ行きが保証されない』」(同上)ことがその理由らしい。勁草書房でも『大衆組織の理論』出版の際、同様の理由で反対があったらしい。まして今度は言語学の本である。三浦はやむなく妥協策をとることになる。

……『言語過程説の展開』はスターリン批判で哲学者や言語学者にいろいろ悪評を立てられて悪名が高いだけに、売れ行きのほうは自信がなく、仕方がないからかたちを変えて大衆的な読物にすることにした。一般の人々に興味のない諸学説のこまかい批判などを切りつめてしまって、『日本語はどういう言語か』という題名に変え、言語学の基礎理論はその「第一部」におさめて、これを理解してはじめて日本語も理解できるという構成にしました。そして『弁証法はどういう科学か』を出してくれた講談社に、同じミリオン・ブックスの一冊として出してくれるよう依頼しました(同上)。


ちなみに『言語過程説の展開』の原稿は「火葬にしてしまった」(同上)そうである。もし現存しているとすれば、それは当時彼が私的に配ったプリントだけだろう。おそらくガリ版刷りと思われるだけに、保存状態はかなり厳しいだろうが・・・。なんだかもったいない話ではある。

第一部 言語とはどういうものか
  第一章 絵画・映画・言語のありかたをくらべてみる
    1 絵画と言語との共通点
    2 モンタアジュ論は何を主張したか
  第二章 言語の特徴――その一、非言語的表現が伴って
      いること
    1 言語の「意味」とは何か
    2 言語表現の二重性
    3 辞書というものの性格
    4 言語道具説はどこがまちがっているか
    5 音韻およびリズムについて
  第三章 言語の特徴――その二、客体的表現と主体的表現
      が分離していること
    1 客体的表現をする語と主体的表現をする語がある
    2 時枝誠記氏の「風呂敷型統一形式」と「零記号」

第二部 日本語はどういう言語か
  第一章 日本語はどう研究されてきたか
    1 明治までの日本語の研究
    2 明治以後の日本語の研究
    3 時枝誠記氏の「言語過程説」
  第二章 日本語の文法構造――その一、
         客体的表現にはどんな語が使われているか
    1 名詞のいろいろ
      a 対象のありかたとそのとられかた
      b 形式名詞あるいは抽象名詞
    2 代名詞の認識構造 
      a 話し手の観念的な分裂
      b ほかの語の一人称への転用
    3 動詞と形容詞、その交互関係
      a 活用ということについて
      b 形式動詞あるいは抽象動詞
      c 属性表現の二つの形式――動詞と形容詞との関係
      d 複合動詞の問題――正しい意味での助動詞の使用
    4 形容動詞とよばれるものの正体
      a 歴史的な検討の必要
      b 新しい分類の中に止揚すること
    5 副詞そのほかのいわゆる修飾語
      a 副詞の性格について
      b いわゆる連体詞について
  第三章 日本語の文法構造――その二、
         主体的表現にはどのような語が使われているか
    1 助詞のいろいろ
      a 助詞の性格
      b 格助詞とその相互の関係
      c 副助詞について
      d 係助詞といわれるものの特徴
      e 接続助詞について
      f 終助詞について
    2 助動詞の役割
      a 助動詞の認識構造
      b 時の表現と現実の時間とのくいちがいの問題
      c 助動詞のいろいろ
    3 感動詞・応答詞・接続詞
  第四章 日本語の文法構造――その三、
         語と文と文章との関係
    1 語と句と文との関係
    2 文章における作者の立場の移行
    3 文章といわれるものの本質
    4 文章に見られる特殊な表現構造
  第五章 言語と社会
    1 言語の社会性
    2 日本語改革の問題
    3 文法教育と言語理論

あとがき

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2006年03月26日

生きる・学ぶ:目次

カバー紹介文より
□著者の近況
 一九七七年一月、脳出血で倒れた著者は、三年六ヵ月に及ぶ入院闘病生活を送って、八〇年六月に退院。現在、自宅でリハビリテーションを続けている。
□本書の内容
○第I部は、若い人々に向けて書かれた「人生と学問と社会」についての13章。
○第II部には、退院後に回復訓練のかたわら書き綴られた「思い出話・うち明け話」など著者の人となりをうかがわせる私小説的論文と、「ソ連旅行記」を収録。
○第III部はいずれも病いに倒れる以前に書かれたもので、唯物論の立場から、恩と孝、<甘え>、人間の観念的な自己分裂といった“観念の世界”の問題を、切れあじ鋭く解明した、理論的労作3本。
【付録】巻末に23ページに及ぶ詳しい「三浦つとむ著作総目録」を掲載。


◇まえがき

□I
■生きる・学ぶ※
 1 働く人たちの恩
 2 死
 3 学ぶ
 4 人生探求の旅
 5 親子げんか
 6 訓練について
 7 お守り・お祈りのナゾ
 8 やさしい心と強い心
 9 職業
 10 家事の教育
 11 反面教師というもの
 12 劣等感
 13 ことわざ・格言について

□II
■昔ばなし
 ウソの効用
 コロッケの唄
 PTの先生
 偽装伏せ字
 おかしな美談映画
 学校時代の思い出
 封切映画を安く見る法
 禁じられた遊び
 昔の少年読物
 毛沢東思想
 「王子と乞食」
 縁日の食べ物
 『新篇路傍の石』
 赤ん坊の時の経験
 藤村操の歌
 アラビアの唄
 あばれはっちゃく
 「前衛」さわぎ
 ジャリ・タレ
 TV劇「折鶴」
 山本周五郎との出会い
 戯曲の小説形式の翻訳
 日曜漫画版

■「人は何のために生れて来るのか」という疑問
 1 人は何のために生まれてくるのかという疑問
 2 自分は何のために生きるべきか
 3 探偵小説が教えてくれた思考方法
 4 思い出の記――兄のこと、謄写版の仕事のこと、母のこと
 5 三浦つとむとは何者か
■ソ連旅行記※
 1 脱イデオロギー現象の進むソ連へ
 2 ソ連のマルクス主義の現状
 3 芸術と建築における理論の不在
 4 教育の状況
 5 社会科学の荒廃とプラグマティズムの浸透
 6 官許マルクス主義からの転換の開始か
 7 スターリン批判から十一年
 8 哲学者たち
 9 研究組織路線の転換
 10 社会科学情報センターの設立
 11 日本のマルクス主義の評価
 12 スターリンの扱い
 13 レーニンから疑え

□III
■日本の家庭――「恩」の問題を中心として※
 1 家庭論の方法――親子観・家族観・人間観
 2 日本人大衆の社会的人間観
 3 恩について――ベネディクトと川島武宜の所論の検討
 4 奴隷制社会における絶対的な孝
 5 徳川封建制における孝
 6 絶対主義天皇制における孝と忠、戦後民主主義の空洞
 7 資本制社会における家庭
 8 われわれの道徳――恩と恩がえし

■珍珍妙妙(これはとびっくり)「甘え」の構造(おはなし)
――土居健郎の<甘え>理論を検討する
 1 現象から定義をつくるとどんな結果をもたらすか
 2 <甘え>ということばはどうして生れたか
 3 先天主義的解釈における「同一化」の概念
 4 成人の<甘え>はどんな状態をさしているか
 5 <甘え>理論における「幼児的依存」なるもの
 6 遠慮ということのご都合主義的解釈
 7 <甘え>と自由との関係
 8 人見知りと甘えを直結するのは正しいか
 9 対人恐怖症や被害妄想をどう考えたらよいか
 10 父親の問題についてのフロイト的発想への<甘え>
■現実の世界と観念の世界
 1 現実の世界と観念の世界の対応のしかた――相対的な独立
 2 観念的な時間の特徴と人間の観念的な自己分裂
 3 人間の観念的な自己分裂についての哲学者たちの解釈
 4 夢の世界・妄想の世界・信仰の世界の共通性
 5 意識的・計画的な夢の世界における観念的な自分の移行
 6 芸術の世界における観念的な自分の移行
 7 <動詞>の命令形についての文法学者の解釈
 8 命令の表現における現実の世界と観念の世界との対応の構造
 9 禁止の「な」についての諸解釈
 
◇三浦つとむ著作目録

※節見出しは目次に掲載されたもの(本文中では節番号のみ。)

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こころとことば:目次

(2006.10.15追記)1977(昭和52)7月に季節社より刊行された、三浦言語学・日本語論への入門編的著作(書き下ろし単行本)。のちに刊行された『ものの見方考え方』(三浦つとむ選集・第5巻)には、「もう一人のじぶん」「二重うつし」など本書の一部が収録されている。青少年向けに書き下ろされたというだけあり、三浦言語学(三浦版・言語過程説)の基礎が、論理のレベルを落とすことなくわかりやすく説明されている。三浦言語学の基礎である唯物論的な世界観の説明などは省略されているが、仮に他の三浦つとむの本を参照しなくとも、素直に読めば大抵の説明は理解できるはずである(「批判的に」読むことも、ブラウン神父風に言えば、"Not always."(いつでもそうだとは限りませんよ)。)

なお、今年の9月末、『1たす1は2にならない』とともに、明石書店より新装版が登場した。季節社版との大きな違いは、木村しゅうじ氏の挿絵や図解が無くなっていることだが、巻末の横須賀壽子氏のあとがきによると、出版条件として挿絵の使用ができなくなってしまったとのことである。

◇まえがき

1 絵から文字ことばへ
2 社会的な約束のいろいろ
3 ことばの意味
4 花ことば
5 断定のことば
6 単語・畳語・熟語
7 もう一人の自分(その一)※
8 もう一人の自分(その二)※
9 もう一人の自分(その三)※
10 もう一人の自分(その四)※
11 もう一人の自分(その五)※
12 打ち消しのことば※
13 過去の回想と未来の推量※
14 もう一人の自分との対話※
15 二重うつし※
16 「が」と「は」の使いわけ
17 <助詞>と<格助詞>
18 ことばの省略(その一)
19 ことばの省略(その二)
20 <固有名詞>と<抽象名詞>
21 「のだ」「ので」「のに」
22 日本の紋章
23 ヨーロッパ的な紋章
24 <代名詞>の特徴
25 記号と文字ことばのちがい
26 <形容詞>と<動詞>の使いわけ
27 <抽象動詞>の特別な使いかた
28 <助動詞>の性格
29 <副詞>の性格
30 <接頭語>のいろいろ
31 <接尾語>のいろいろ
32 文と文をつなぐことば
33 女性のことばの使いかた
34 カギを使わない会話
35 私とことばの研究(その一)
36 私とことばの研究(その二)
37 私とことばの研究(その三)

※「三浦つとむ選集5」(勁草書房)に収録
posted by liger-one at 18:39| Comment(0) | TrackBack(0) | The Tsutomu Miura Archives | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

言語学と記号学:目次

◇病床便り

□第一部
■言語学と記号学
 一 言語学と記号学との関係
 二 <場の表現>と他の表現との綜合の問題
 三 言語を解明できる者に記号を解明できないはずはない
 四 意味とは何か、どこに存在するか
 五 記号における<場の表現>
 六 象徴とはどんな表現か、記号とどう区別するか
■言語・記号・象徴
 一 矛盾を実現しかつ解決するための規範
 二 ルフェーヴルのcode論
 三 機能主義的発想と「代り」理論の横行
 四 記号学者の記号および信号の概念と大衆の合図および信号の概念
 五 言語と記号の区別、記号表現と非記号表現の統一
 六 記号における象徴的表現の浸透と交通機関の理解のときの規範の媒介運動
 七 言語における記号的表現の浸透と交通標識の理解のときの規範の媒介運動
 八 イェルムスレウの発想をめぐって
 九 象徴における認識の二重化、表現以前に象徴が存在するという発想
 一〇 言語学の誤謬の記号学による修正、ルフェーヴルの「三次元図式」
 一一 ヨーロッパ的な紋章と日本的な紋章
 一二 象徴をめぐる問題
 一三 言語と記号はどこで区別されるか
 一四 記号論者の一方通行的なコミュニケーションの概念とその役割
 一五 モンタアジュ論者の「単位」と記号学者の「単位」との共通点
 一六 表現についているいろいろなことわり書き
 一七 地図の記号における非記号表現の重視
■構造言語学者はなぜ意味論を排除したか?
 一 構造言語学者は意味論から逃げていた
 二 時枝誠記の意味論の弱点
 三 言語規範はダイナミックで立体的な構造を持つ

□第二部
■時枝誠記の言語過程説
 はじめに
 本質の追求と方法論の反省
 言語学のコペルニクス的転換
 時枝理論はなぜ難解といわれるか
 言語の論理構造と「哲学者」
■<助動詞>と<助詞>の自立した使いかたについて
■漢字と振り仮名
■台本の過程的構造
 一 言語の過程的構造の特殊性
 二 観念的な演劇の文章化としての戯曲
 三 演劇の特徴の戯曲への規定
 四 観念的な映画の文章化としてのシナリオ
 五 過程的構造の相対的独立をめぐって
■森有正の「日本語の二人称的性格」
■市川浩の「魔術的」身体論
 一 鏡における身体の「魔術的な転換」のタネあかし
 二 言語表現の「魔術的強制力」のタネあかし
 三 ヴァレリーの「第四の身体」のタネあかし
■「差別語」の理論的解明へ
 すべての言語は差別語である
 大衆の表現に対する差別感
 正常な分裂と異常な分裂
 どんな問題が見落されているか
 大内論文問題の再吟味
■庄司和晃著『仮説実験授業と認識理論』への解説

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毛沢東主義:目次

◇まえがき

■第一章 序論――毛沢東主義とはなにか?
■第二章 革命運動の指導者における理論と実践との統一――毛沢東主義の誕生
■第三章 毛沢東主義「哲学」の出現――修正主義的体系化としての成長
 A 毛沢東主義の認識論とマルクス主義の認識論とのちがい
 B マルクス・エンゲルスは調和する矛盾が存在すると主張する
   ――『資本論』における矛盾論の吟味
 C 毛沢東主義の矛盾論とマルクス主義の矛盾論とのちがい
■第四章 偉大な毛から滑稽な毛への転落――「放鳴」運動のつまづき
 A 偉大な革命の指導者としての地位の確立
 B スターリン批判の波紋、「放鳴」運動の失敗と収拾
■第五章 「人民内部の矛盾」論――毛沢東主義の「哲学」の新しい展開
 A 非敵対的矛盾はどのようにして解決されるか
 B 「独裁」と「民主主義」を矛盾解決の方法と解釈する
 C 社会主義社会の矛盾と毛沢東主義の「均衡」論
■第六章 「三面紅旗」の失敗と世界戦略における中ソの対立
 A 新しい世界戦略の採用と「三面紅旗」の強行
 B 彭徳懐の毛沢東批判と毛のソ連敵視
■第七章 経験主義的教条主義の満開――中ソ対立の激化
 A 毛沢東主義とソ連の原則的修正との衝突
 B 経験主義的教条主義の新しい展開と反ソ親中的結集の破綻
■第八章 プロレタリア文化大革命――毛の幻想にもとづく「革命」とその現実

◇付 録
一 毛沢東における否定の否定の法則の修正
二 毛沢東の権力観と粛清の論理

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文学・哲学・言語:目次

□I
■文学から何を学んだか
 一 観賞用表現と実用的表現との区別および連関
 二 正岡子規は客観的に「自己の死といふ事を見る」
 三 <写生>における観念的な立場の移動
■漱石のイギリス留学をめぐって
 一 漱石の煩悶はどこから生れたか
 二 小説家漱石はどんな態度をとったか
■山本周五郎の会話表現
■歌謡集にひとこと
■ソ連の学者は<情報>理論を芸術にどう適用したか

□II
■仕事と遊び〔一〜三〕
■家事の思想
■Physician Heal Thyself
■『あしながおじさん』と哲学者
■哲学の教訓――歴史と論理――
■何が哲学者をそうさせたか?
――官許マルクス主義哲学の有効性の喪失とマルクス主義社会学なるものの発展――
 〔序論〕
 一 レーニンの誤謬の継承
 二 官許哲学の成立
 三 官許哲学の変貌
 四 社会学についての見解の不統一
 
□III
■宗教論と言語論
■いわゆる<受け手>論のために
■形式主義的文法論の吟味
 はじめに
 一 言語構造の図式化と認識の構造
 二 形式主義と煉瓦的構成観
 三 いわゆる<カリ活用>説の成立
 四 いわゆる<カリ活用>説の克服
 五 <活用>とは何か――<形容動詞>肯定論の<ナリ活用>説
 六 三上章の<補助活用>説
 七 打消の論理構造と受身の論理構造
■文論から文章論へ

◇あとがき

※〔〕内は補足のため付した

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日本語の文法:目次

◇まえがき

■第一章 日本語の文法をどう理解したらよいか
 一 言語規範は言語の法則性をつくり出す
 二 言語規範には民族的特殊性がある
 三 言語の本質と言語における認識の特徴
 四 言語表現と非言語表現との二面性および相互の関係
 五 日本語の<膠着語>としての特殊性
 六 文法論における形式主義的傾向
 七 言語の立体的な過程的構造に文法論はどう立ちむかったか
 八 日本語の単語をどう分類するか

■第二章 日本語の人をあらわすことば
 一 他人に呼びかけるには<敬語>を使うのが礼儀である
 二 言語を理解するには観念的な同一化による追体験を必要とする
 三 夫婦はなぜ「お父さん」「お母さん」とよび合うか

■第三章 日本語の<形式名詞>
     ――「の」とその使いかた
 一 <名詞>は実体概念を表現する語である
 二 <形式名詞>とはどんな<名詞>か
 三 橋本文法は「の」を<準体助詞> と解釈する
 四 <形式名詞>の二つの使いかた
 五 佐久間文法は<形式名詞>を<名詞的な吸着語>と解釈する
 六 三上文法は「のだ」を<準用言>と解釈する
 七 文末の「の」は<終助詞>ではない
 八 永野賢の「から」と「ので」の区別
 九 形式主義的解釈は永野の首をしめる
 一〇 永野のいう「ので」の「用法の拡張」とはなにか
    一一 「もので」と「のに」の諸解釈

■第四章 単語の活動状態としての<名詞>への転生
     ――<転成体言>の問題
 一 山田文法は語の転成を重視する
 二 山田のいわゆる<準体言>の吟味
 三 時枝文法の「の」<助動詞>説の吟味

■第五章 日本語の<形式動詞>
     ――「ある」と「いる」とはどうちがうか
 一 <動詞>の内容による分類
 二 山田文法での「あり」の説明と時枝の批判
 三 <抽象動詞>あるいは<形式動詞>の特殊な使いかた
 四 「ある」と「いる」のちがいの問題
 五 対象のとらえかたのちがいで「ある」と「いる」を使いわける
 六 <形式動詞>の二つの使いかた

■第六章 <形容詞>の特徴をめぐる諸問題
 一 同じ対象がなぜ<形容詞>にも<動詞>にも表現されるか
 二 <形容詞>の<カリ活用>説は誤りである
 三 <形容動詞>説は誤りである
 四 <形容詞>の語尾は<接尾語>ではない
 五 <用言>における客体的表現から主体的表現への転換

■第七章 <副詞>をどう考えるか
     ――依存することが本質である語の問題
 一 <属性副詞>の二つの問題
 二 <陳述副詞>とその形式主義的修正
 三 文の入子型構造と<副詞>解消論

■第八章 <助動詞>の特徴をめぐる諸問題
 一 大槻文法の<助動詞>論と山田文法の<複語尾>説との対立
 二 時枝文法の<助動詞>論の特徴と問題点
 三 <接尾語>の「て」と<助動詞>の「て」
 四 <助動詞>と<助動詞>の連結の問題

■第九章 <助詞>の特徴をめぐる諸問題
 一 <助詞>論はどうすすめられてきたか
 二 <格助詞>と<副助詞>の特徴
 三 <係助詞>とはどんな<助詞>か
 四 <格助詞>が重用される現象をどう解釈したか

■第十章 <助詞>の短絡的使用と格の問題

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1たす1は2にならない:目次

(2006.10.15追記)初版は1973(昭和48)年5月、国土社の「常識から科学へ」シリーズの第2巻として刊行され,のちに『ものの見方考え方』(三浦つとむ選集・第5巻)にも収録された。なお、今年の9月末には『こころとことば』とともに、明石書店より新装版が登場した。新装版の巻末には横須賀壽子氏のあとがきが付されている。

■失敗を科学する
 失敗をしたときはだれでもはずかしい
 失敗を科学すれば
■なぜ失敗するかを考えよう
 失敗にもいろいろござる
 人間に失敗はつきもの
■経験は万能の神ではない
 仲良くしていては競争にならない
 経験にだまされる
■死んだら神さま仏さま
 推理もゆきすぎると
 苦しいときの神だのみ
 死んだら神さま仏さま
■うまい話には気をつけろ
 冬来たりなば春遠からじ
 くりかえしか偶然か
■「純粋」に考えると失敗する
 地上を走っても地下鉄とは
 「不純」にもよいことがある
 木が三本以上あれば森というか
■”いじわる”にしかとけない問題
 のろのろ走っても高速道路
 1たす1は2にならない
 常識のおとしあな
■なぞときのすすめ
 「あれ」でもあり「これ」でもある
 ああ失敗は成功のもと

◇あとがき

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現実・弁証法・言語:目次

□I
■唯物史観と赤ん坊
■学術用語としての<独裁>
■歴史の偽造
■珍家族論の双璧
■若さがゆえに可能性があるか
■横目で見る立場から――「仮説実験授業」についての感想

□II
■弁証法とは知らずに――子どもでも理解できることの確認
■弁証法のありがたさ――単純な論理の有効性
■調和の論理
■<支持者>の論理
■オバケの論理
■善と悪と――その相対的妥当性
■北川敏男の<営存>論
 一 <情報科学>における人間機械論的抽象
 二 北川はサイバネ発想をどう越えたか
 三 <営存>――人間機械論の立場からの主体のありかたの把握
 四 マルクス主義における<生存>の論理
 五 荘子の哲学へののめりこみ

□III
■東西「粗忽長屋」物語
 一 <表現>の論理はすなわち<像>の論理である
 二 フーコーいわく、表現主体は空虚な非存在である
 三 『資本論』の論理の安易な押しつけ
 四 ルフェーヴルいわく、Langueは物質になってレコードの溝にふくまれる
 五 商品即言語、商品即Langue説
■哲学者の言語解釈――七転八倒するルフェーヴル
■チョムスキー文法論の逆立ち的性格
■学術用語は<科学言語>ではない
■夏目漱石における『アイヴァンホー』の分析

◇あとがき

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マルクス主義と情報化社会:目次

◇まえがき

■I 唯物史観小論
 一 なぜ一般論を抽象するのか
 二 マルクスの定式は「一般的な結論」である
 三 世界観と歴史観との統一
 四 一般的な世界観としての唯物論
 五 哲学的世界観から科学的世界観へ
 六 唯物史観は科学的歴史観である
 七 人間の「社会的存在」とは何か
 八 「生活の社会的生産」とは何か
 九 ヘーゲルの意志論と唯物史観
 一〇 上向法の叙述における内容の立体性
 一一 定式についての内容構成論
 一二 マルクス主義における<交通>
 一三 マルクス主義における<所有>
 
■II 唯物史観と制度
 一 俗流唯物論者の<制度>論
 二 対象化された意志・規範・<制度>
 三 他の<制度>を強化・創造するための<制度>
 四 家族とよばれる<制度>
 五 <システム>論における<制度>
 
■III 科学の体系と哲学の体系

■IV アッとおどろく………
 一 平田清明は等価交換の原理を礼賛する
 二 哲学者たちの百鬼夜行的状態
 三 矛盾論・交通論・表現論の関連
 四 コンピュータは<考える機械>か
 
■V 断絶発想の流行
 一 左翼に見られる断絶発想
 二 経営学への要求と発展
 三 <官僚制>から<民主主義>への組織<進化>論
 四 <知識社会>論と断絶発想
 
■VI 情報化社会と教育革新
 一 <情報化社会>とは何か
 二 技術革新は教育革新を要求する
 三 社会的分業の止揚と生涯教育
 
■VII サイバネ発想のタダモノ論
 一 数学レベルにおけるタダモノ論的解釈学
 二 人間機械論の立場での<通信>論
 三 「第三のもの」としての<情報>論
 四 形式主義的な<システム>論
 五 解釈学者の<情報>論と実践家の<情報>論との対立
 六 タダモノ論の有効性の限界

posted by liger-one at 17:58| Comment(0) | TrackBack(0) | The Tsutomu Miura Archives | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

認識と芸術の理論:目次

□I
■芸術の周辺
■芸術と技術
■芸術学の変革――北条元一氏の芸術認識論批判――
■マルクシズムは死んだか?
■科学者の観点と芸術家の観点
 一 芸術論と機能主義
 二 蔵原のヘーゲル的解釈
 三 科学と芸術との内容のちがい
 四 蔵原の主題論と受動的発想
 五 科学活動における観点の特殊性
 六 「前衛の観点」は科学者の観点
 七 『真空地帯』論争の「観念的公式主義」
 八 蔵原は「全体性」を要求する
 九 丸山静は蔵原の「全体性」を主張する
 十 「文学そのもの」とは何か
■芸術対象論から芸術認識論への転落
 ――ルフェーヴルの『美学入門』――

□II
■研究方法と創作方法の共通点
■夏目漱石の「空間短縮法」
■野間宏の小説論
 一 サルトルの<全体>論――
  「悪全体」の現実世界への押しつけ
 二 小説家のありかたの特殊性
 三 野間の持ち出した<磁場>の世界とは何か
 四 テーマ <仕掛け> <複眼>説と
   言葉 <くぐりぬけ> 説の正体
 五 小説論と絵画論とのくいちがい

■モンタアジュ論は逆立ち論であった
■表現における「枠」の問題
■ギャグの論理
■MY UNDERSTANDING MEDIA
■映画における「時間の創造」
■中井美学の「独創」について
■反<文学>論の系譜
■リップスの感情移入論
■事件の典型としての把握――ミス・マープルに学ぶもの――

□III
■浪花節の歴史的性格――les miserables――
■落語論

◇あとがき

posted by liger-one at 17:46| Comment(0) | TrackBack(0) | The Tsutomu Miura Archives | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

マルクス主義の復原:目次

◇まえがき

■第一章 官許マルクス主義における原理的修正
 一 マルクス主義の再検討に際して
 二 哲学は必要か、マルクス主義に哲学は存在するか
 三 レーニンのヘーゲル的ふみはずし、弁証法の二つの規定の平和共存
 四 マルクス主義は「客観的弁証法」を否定する
 五 形而上学は「でたらめをいってもかまわない」か
 六 形式論理学は否定論から肯定論へとひっくりかえる
 七 『経済学批判序説』はどんな論理構造を説いているか
 八 物質的生産と物質的交通
 九 ソ連の「国民経済会議」における生産と交通、その改革案としてのリーベルマン提案
 一〇 土台と上部構造、精神的生産と精神的交通
 一一 権力論と意志論、各個意志の合成
 
■第二章 官許マルクス主義の一変種・・・構造主義的マルクス主義
 一 「若きマルクス」をめぐる対立
 二 アルチュセールのフォイエルバッハ論
 三 アルチュセールの全体主義・・・「止揚」とは素朴で陰険な概念である
 四 『資本論』とエンゲルスの手紙のアルチュセール的解釈
 五 意志論ぬきの実践論への転落
 六 イデオロギーと科学との・人間と社会との・切断
 七 ゴドリエの「矛盾についての二つの概念」
 
■第三章 構造主義とマルクス主義
 一 フランス的な流行思想としての構造主義
 二 レヴィ=ストロースの方法とルフェーブルのソシュール礼賛
 三 ア・プリオリ的方法から歴史の否定へ
 四 構造主義の意味論
 五 フーコーにおける体系フェティシズムとサルトルの批判
 六 リクールの言語における「二律背反」の指摘

posted by liger-one at 17:29| Comment(0) | TrackBack(0) | The Tsutomu Miura Archives | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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