2007年06月01日

現代言語学批判:目次

 
対象から表現に至る言語の過程的構造に着目し、独自の理論を展開した三浦つとむ。その理論を継承・発展させ表現構造の謎を解く。
(カバー帯)

・・・ここに集めたような論文は、学問的な価値が大きいだけでなく、謎解き読物としても面白く有益です。上田氏の送り仮名論も、語形明示説や分担表記説の極限形態を批判するところまで行くと、笑いごとではないと判ってはいても、落語より面白くて腹をかかえます。私は病院のベッドで宮下、上田、鈴木氏から別の論文をいくつか読ませていただきましたが、「灰色の脳細胞」のリハビリテーションに役立ったことを感謝しております。

学問の仕事をする者にとってもっとも嬉しいことは、「何とか賞」や「何とか章」をもらうことではなくて、自分の理論を正しく理解して役立ててくれる者が出ることです。それゆえこの論文集の諸氏が私の理論を役立てて下さったことを嬉しく思い有難いと思っております。(三浦つとむ「編集者あとがき」より)



目次

■なぜ送仮名を破壊するのか 上田博和 ※1

第一章 送仮名の本質
 一 訓読みと送仮名
 二 振仮名と送仮名
 三 訓と訓読み
 補論一 振仮名と送仮名・補遺
 補論二 漢字の読み書きの出題法・批判
第二章 送仮名の認定
 一 二つの送仮名観――訓読み表示説と語形明示説――
 二 新戦後版の語形明示説――
 三 「送仮名は片仮名にも付く」か――語形明示説の極限形態――
第三章 送仮名法の諸問題
 一 <含む語規定>論
   ――<含む語規定>の拡大による<語尾原則>適用例の縮小
 二 <語尾・語幹>論――時枝誠記説の批判と継承――
 三 <語尾原則論>――<語尾>概念の誤りによる<語尾原則>の崩壊
  (一)「語尾=変化する部分」説の文字通りの適用
  (二)「語尾語幹区別無し」説の問題
  (三)<形容詞>「シク活用」説の無視
  (四)「不変化語尾」説の正体
 四 送仮名の破壊と抹殺――分担表記説の極限形態

■中国人は、語をどのように分類してきたか――『馬氏文通』以前―― 内田慶市
はじめに
第一章 「辞」或いは「詞」について
第二章 「助字」について
第三章 「虚字」「実字」について
第四章 『馬氏文通』以前における語の分類

■変形文法の展開とホーキンズの冠詞論 宮下眞二
はじめに
第一章 変形文法の展開
 一 変形文法の展開
 二 統語構造と意味
 三 非文とは何か
 四 ホーキンズの変形文法評価
第二章 ホーキンズの冠詞論
 一 はじめに
 二 定冠詞は名詞の対象を特定するか
 三 定冠詞と不定冠詞との基本的相違点
 四 冠詞の本質
 五 修飾語句を伴う名詞と定冠詞
 六 定冠詞は不定冠詞の変形か
 七 不定冠詞は何故前方照応しないか
 八 定冠詞と指示代名詞との違い
 九 結び

■サアルの言語論――認識の検討を避けて認識と言語との謎が解けるか――宮下眞二
はじめに
第一章 変形文法と日常言語学派
第二章 サアルの言語論

■フランス語時称体系試論 鈴木覚
はじめに
第一章 言語表現の成立条件
第二章 時称とは何か
第三章 現在形
第四章 複合過去形、近接過去形、近接未来形
第五章 単純過去形と半過去形
第六章 単純未来形、条件法現在形、接続法現在形、同半過去形
むすび

■スペイン語の ser と estar 鈴木覚
第一章 学者も困る ser と estar の区別
第二章 繋詞としての ser と estar
第三章 存在を表す ser と estar
第四章 不定詞および分詞における判断辞の過程的構造
むすび

■精神医学と言語学――言語障害の研究に言語学は何故寄与しえないか 黒川新二
はじめに
第一章 失語症研究と言語学
 一 脳病理学と失語症研究
 二 言語学者ヤコブソンの失語理論
第二章 言語習得過程はどう研究されているのか
 一 幼児言語研究の立脚点
 二 形式主義から内容主義へ

編集者あとがき 三浦つとむ ※2
表記についてのあとがき(文責・宮下眞二)※3


※1 この論文のみ旧かな(正かな)で収録されている。宮下氏の「表記についてのあとがき」によると、原稿では漢字も旧字(正字)だったという。また、内田・宮下・鈴木氏の論文も、原稿では略字(新字)混じりの旧かなで書かれていたと述べられている。

※2 選集3巻『言語過程説の展開』の巻頭に掲載されている「『言語過程説の展開』から『日本語はどういう言語か』さらに『認識と言語の理論』へ」は、このあとがきを元に、加筆・削除などの修正を加えたものと思われる。

※3 このあとがきでは、原稿で使用されていた旧字旧かな(正字正かな)を印刷の段階で新字新かなに変更されたいきさつと、日本語の表記に関する彼らの考え方が述べられている。以下はその抜粋。
私達は戰後の學校教育を受けたものですが、所謂國語國字改革に對して、それが「書き言葉の簡易化、國語教育上の負擔の輕減、一般民衆の智能の向上」と云ふ目的に反して、日本人の言語生活を妨げ破壊するに終つてゐることを經驗上痛感せざるを得ません。その上に私達は分野は異なれ、言語を研究して來ましたから、所謂國語改革の理論的支柱となつた歴史的比較言語學及び構造言語學の言語觀は、音聲言語を偏重し文字言語を輕視する一面的な言語觀であり、かつ言語を言語と云ふ表現自體ではなくて言語を媒介する言語規範と誤解したために、現實の言語の表現理解の活動を研究の對象とすることが出來ず、それ故に言語生活上の問題である國語問題を解決できる筈がないこと、それどころか國語問題の一因ともなつたことに厭でも氣附かざるを得ませんでした。

言語は言語規範に媒介された表現でもあります。音聲言語も文字言語も等しく言語でありどちらか一方が他方の從属物である譯ではありません。音聲言語も文字言語も、それぞれ人間の生活に必要に應じて人間の多様な思想を精確に表現すべく發展させなければなりません。その上で兩者の對應關係を發展させねばなりません。


なお、宮下氏のあとがきの漢字はできるかぎり原文に即して入力したが、異字体を含む一部の旧字は新字にしてある(というより、そうせざるを得なかったのだが)。新字にした漢字は、(1)機種依存文字の漢字、(2)ユニコードにはあるがシフトJISにはない漢字、(3)エディタ(テキストエディット等)での入力自体ができなかった漢字(グリフ入力の対象になっている漢字。これは異字体に多かった)の3種。

(090313追記)宮下氏のあとがき作成時の、私の入力ミスを修正しました。

誤「音聲言語を偏重し文字言語をする輕視する一面的な言語觀」
正「音聲言語を偏重し文字言語を輕視する一面的な言語觀」

誤「その上で兩者の對應關係を發展させなければなりません。」
正「その上で兩者の對應關係を發展させねばなりません。」
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2007年05月20日

芸術論:目次

言語による鑑賞用表現=文学を原理的に捉えて表現内容と表現形式の関係を考察し、芸術についての一般理論を導きだす。
(帯コピー)


芸術論研究の歴史

新大陸の新しい芸術 ※1
  行動喜劇の成立
  行動喜劇の映画的誇張
  発声アニメーション映画の登場
  「ニコニコ大会」
  ディズニー映画とその登場者
  アニメーション映画の思想
  ブルースの誕生
  ジャズの歴史
  ジャズは変わっていく

正岡子規の認識論 ※2
 一 正岡子規は客観的に「自己の死といふ事を見る」
 二 <写生>における観念的な立場の移動

漱石のイギリス留学をめぐって ※3
 一 漱石の煩悶はどこから生れたか
 二 小説家漱石はどんな態度をとったか

夏目漱石における『アイヴァンホー』の分析 ※4

中井美学・葬送の辞 ※5

認識と芸術の理論

芸術の周辺
芸術と技術
芸術学の変革――北条元一氏の芸術認識論批判――
マルクシズムは死んだか?
科学者の観点と芸術家の観点
 一 芸術論と機能主義
 二 蔵原のヘーゲル的解釈
 三 科学と芸術との内容のちがい
 四 蔵原の主題論と受動的発想
 五 科学活動における観点の特殊性
 六 「前衛の観点」は科学者の観点
 七 『真空地帯』論争の「観念的公式主義」
 八 蔵原は「全体性」を要求する
 九 丸山静は蔵原の「全体性」を主張する
 十 「文学そのもの」とは何か
芸術対象論から芸術認識論への転落――ルフェーブルの『美学入門』――

II
研究方法と創作方法の共通点
夏目漱石の「空間短縮法」
野間宏の小説論
 一 サルトルの<全体>論――「悪全体」の現実世界への押しつけ
 二 小説家のありかたの特殊性
 三 野間の持ち出した<磁場>の世界とは何か
 四 テーマ <仕掛け> <複眼> 説と言葉 <くぐりぬけ> 説の正体
 五 小説論と絵画論とのくいちがい
モンタアジュ論は逆立ち論であった
表現における「枠」の問題
ギャグの論理
MY UNDERSTANDING MEDIA
映画における「時間の創造」
中井美学の「独創」について
反<文学>論の系譜
リップスの感情移入論
事件の典型としての把握――ミス・マープルに学ぶもの――

III
浪花節の歴史的性格――les miserables――
落語論

あとがき


※1 『芸術とはどういうものか』(至誠堂)所収「III 現代の芸術・2 新大陸の新しい芸術」に一部加筆したもの。1939(昭和14)〜41(昭和16)年にかけて三浦がまとめた「戦時中に印刷した三冊の論文集」(「芸術論研究の歴史」)の一つ。
※2 『文学・哲学・言語』所収「文学から何を学んだか」の一部。なお「芸術論研究の歴史」によると、「『正岡子規の認識論』以下三篇は戦後に活字となったが、本質的には戦時中に書いたものの復原」とのこと。
※3 『文学・哲学・言語』所収
※4 『現実・弁証法・言語』所収
※5 『京都大学新聞』1964(昭和39)年12月14日号に掲載。「ところが六四年になると、中井正一の昔の友人たちによって彼の美学かかつがれ、ジャーナリズムの問題になった。私は『京都大学新聞』一二月一四日号に「中井美学・葬送の辞」を書き、落語の「らくだ」にたとえて、「死骸にカンカンノウをおどらせて酒やさかなをせしめる人間」に苦言を呈した。中井はモンタアジュ論にいかれて、映画における光学的過程を表現過程にすり変えたにもかかわらず、誰もそのことを指摘できなかったのである。」(「芸術論研究の歴史」)
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言語過程説の展開:目次

認識の成立から言語表現にいたる過程的構造を解明した主著、『認識と言語の理論』第一部、第二部を合わせてここに収録する。(帯コピーより)

『認識と言語の理論』は、「第一部」「第二部」が別冊で出版されましたが、合本で出てもいいように、索引も共通のものにしました。のちになってから、少部数でもよいから、合本して布装にしたものをこしらえてもらえないかと希望したこともありましたが、この希望は実現しませんでした。今度の選集版でようやく実現したわけで喜んでおります。(「『言語過程説の展開』から『日本語はどういう言語か』さらに『認識と言語の理論』へ」)


『言語過程説の展開』から『日本語はどういう言語か』さらに『認識と言語の理論』へ

認識と言語の理論
まえがき
第一部  認識の発展
第一章 認識論と矛盾論
  一 識論と言語学との関係
  二 認識における矛盾
  三 人間の観念的な自己分裂
  四 「主体的立場」と「観察的立場」
  五 認識の限界と真理から誤謬への転化
  六 表象の位置づけと役割
  七 予想の段階的発展――庄司の三段階連関理論
 
第二章 科学・芸術・宗教
  一 法則性の存在と真理の体系化
  二 仮説と科学
  三 概念と判断の立体的な構造
  四 欲望・情感・目的・意志
  五 想像の世界――観念的な転倒
  六 科学と芸術
  七 宗教的自己疎外

第三章 規範の諸形態
  一 意志の観念的な対象化
  二 対象化された意志と独自の意志との矛盾
  三 自然成長的な規範
  四 言語規範の特徴
  五 言語規範の拘束性と継承
  六 国際語とその規範

第四章 パヴロフ理論とフロイト理論の検討
  一 パヴロフの人間機械論と決定論
  二 フロイト理論の礎石
  三 不可知論と唯物論との間の彷徨
  四 フロイトの基礎仮説――「エス」「自我」「上位自我」
  五 無意識論と精神的エネルギー論
  六 夢と想像
  七 性的象徴
  八 「幼児期性生活」の正体
  九 「エディプス・コンプレックス」の正体
  十 エロスの本能と破壊本能
 十一 右と左からのフロイト批判

第二部 言語の理論
第一章 認識から表現へ
  一 表現――精神の物質的な模像
  二 形式と内容との統一
  三 ベリンスキイ=蔵原理論
  四 対象内容説・認識内容説・鑑賞者認識内容説
  五 言語学者の内容論
  六 吉本と中井の内容論
  七 記号論理学・論理実証主義・意味論
第二章 言語表現の二重性
  一 客体的表現と主体的表現
  二 記号における模写
  三 小林と時枝との論争
  四 言語における「一般化」
  五 概念の要求する矛盾
  六 言語表現と非言語表現との統一
第三章 言語表現の過程的構造(その一)
  一 身ぶり言語先行説
  二 身ぶりと身ぶり言語との混同
  三 言語発展の論理
  四 「内語」説と第二信号系理論
  五 音声と音韻
  六 音声言語と文字言語との関係
  七 言語のリズム
第四章 言語表現の過程的構造(その二)
  一 日本語の特徴
  二 「てにをは」研究の問題
  三 係助詞をどう理解するか
  四 判断と助詞との関係
  五 主体的表現の累加
  六 時制における認識構造
  七 懸詞、比喩、命令
  八 代名詞の認識構造
  九 第一人称――自己対象化の表現
第五章 言語と文学
  一 作者に導かれる読者の「旅行」
  二 言語媒材説と芸術認識説
  三 鑑賞の表現としての俳句の構造
  四 文体と個性
  五 芸術アジ・プロ説――政治的実用主義
  六 生活綴方運動と「たいなあ」方式
  七 上部構造論争――芸術の価値の基礎はどこにあるか
  八 本多の「人類学的等価」とマルクスのギリシァ芸術論
第六章 言語改革をめぐって
  一 言語観の偏向と言語改革論の偏向
  二 文字言語に対する見かたの対立
  三 表音文字フェティシズムからの幻想
posted by liger-one at 20:55| Comment(0) | TrackBack(1) | The Tsutomu Miura Archives | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月22日

Smultron3.0.1

(訂正とおわび)バージョン番号から途中の「0」が脱落しておりました。正確には「3.0.1」です。大変失礼いたしました。

Smultronが2.2.xから3.x(現在は3.0.1)へとアップグレードされている。

メニューバーなどインターフェイスが英語なのは、ローカライズ(各国語版)が現時点ではスウェーデン語版のみのため。

軽くさわった程度だが、アプリ本体やツールバーなどアイコンの一部変更・追加の他、分割表示や環境設定、検索・置換機能、コマンド機能など、特にインターフェイス周りでの改良が目立つ。スクリーンショットを見ての通り、カーソルのある行のハイライトもできるようになった(「Preference」→「Advanced」→「Really Advanced」で設定)。ただ、Smultronの改行は論理行(改行コードで1行)だけなので、折り返し表示していると物理行(折り返しで1行)で何行もまたがってハイライトされてしまうので注意。
(スクリーンショットで、上に表示されているウィンドウが3.0.1、下は2.2.6)
smultron3_1


分割表示してみたところ。下段ウィンドウのファイル切り替え用に、新たにドロップダウンリストが付けられ、操作がわかりやすくなっている。
smultron3_2


「高度な検索・置換」(Advanced find)では、メインウィンドウに戻ることなく、該当行へのジャンプ・置換ができるようになり、検索・置換の対象(ファイル)も、プロジェクトが新たに追加されている。
advanced_fInd
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2007年04月13日

MacOSX 10.5(Leopard)発売延期

アップル、次期Mac OS Xリリースを10月に--原因はiPhone開発
(http://japan.cnet.com/news/ent/story/0,2000056022,20347040,00.htm)

 Appleは米国時間4月12日の株式市場終了後、プレスリリースでスケジュールの延期を発表した。iPhoneのリリースは現在予定通りで6 月となっているが、iPhoneのリリース時期を守るため、Leopard開発者や品質保証スタッフのプロジェクト変更が必要だった、と同社では説明している。ちなみに、同社では、6月に「Worldwide Developers Conference(WWDC)」の開催を予定している。


気晴らしに(?)久々にMac話を一つ。6月のiPhone発売(米国)には間に合うものと思っていただけに、ちょっと残念な話題ではある。以前、BootCampのWindowsVista対応のため、出荷が10月に延期される可能性がある、というニュースは聞いてはいたが、理由は違えども延期は事実だったということになる。ただ、期日に間に合わせようとアップルが躍起になったところで、致命的なバグが残ったまま出荷されるようでは困る。しかし、Vistaのように何か月(何年?)も先送りにされるのは、もっといただけない。

Leopard(10.5)は、標準搭載が決定しているBootCampなどを除いては、一般ユーザにはまだ10機能しか明かされていない。現時点でTigerからすぐに乗り換えるほどの必然性は見いだされないが、10月に正式発売されるときには、公開されている機能以上にMacらしい機能が搭載されているとうれしいのだが。
posted by liger-one at 15:25| Comment(0) | TrackBack(0) | Mac and Windows | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

国民投票法案=憲法抹殺法案が衆議院通過

<国民投票法案>与党修正案、衆院通過へ(毎日新聞)
(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070413-00000027-mai-pol)

 憲法改正の手続きを定める国民投票法案の与党修正案は13日午後の衆院本会議で採決され、自民、公明両党の賛成多数で可決される。与党は16日に参院本会議と参院憲法調査特別委員会で趣旨説明を行う構えで今国会成立は確実な情勢。安倍晋三首相が目標とする5月3日の憲法記念日までの成立を目指す。


国民投票法案の修正案が衆議院を通過したことで、今国会での成立はほぼ確実になってしまった(==;)。仮に参議院で否決されたところで、衆議院に差し戻されて可決されるだけである。そして、無数の問題点は何一つ解消されないまま。これほど現憲法を破壊することを目的とした、露骨な法案もあるまい。

数で国会を圧倒する自民党と、自民党の補完装置(集票マシン)である公明党(創価学会)、そして自民党を影で支える宗教右翼。安倍晋三が成立を目指す憲法記念日(5月3日)は、日本国憲法の事実上の“命日"となってしまうのか。
posted by liger-one at 13:47| Comment(1) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月10日

国民投票法案という名の憲法抹殺法案(==)

国民投票法案を巡る動きが活発化している。与党=自民党・公明党は13日の成立を目指して躍起のようだ。だが、一国の行く末を左右する憲法に対し、仮にも主権者である国民側の知る権利は徹底的に封じ込める一方、憲法改正のハードルは極限まで下げることを目的とする憲法無視のこの法案が、共謀罪以上に危険な存在であることをどれだけの人が気付いているのだろうかと、今さらながら不安になる。

先月(3月)、昨年亡くなった米原万里氏の遺作『発明マニア』(毎日新聞社)が出版された。これは週刊誌『サンデー毎日』に掲載されていた同名のコラムをまとめて単行本化したものだが、その中の一つに「国民の七〇%が支持する平和憲法を国民投票で葬り去る裏技」という文章がある。雑誌に掲載されてからすでに2年前の文章ではあるが、これを読むと、件の国民投票法案がいかに「憲法殺し」「9条殺し」の法案であるかということが良く分かる。現在与党から修正案が提出されているが、法案の基本的な内容に変化はないので、米原氏の批判は現在でも通用するだろう。

「日本を実質的なアメリカの属領にしてしまった」小泉首相(当時)は、「親分アメリカ」や「戦争がらみの美味しい儲けに便乗したい日本の一部業界」の要望に応えるためにも、自衛隊を「殺戮兵器を駆使する他国の軍隊並み」にしたいのだが、それを阻む「不戦条項が邪魔でうっとうしくて仕方がない」。その自衛隊を他国並みにするには、「今でさえちっとも守っていない憲法」を「何が何でも変えなくてはならない」のだが、そのためには「土台作りとして、まず周辺諸国との関係を険悪化させなくてはならない。おそらく北朝鮮によるテポドン発射や拉致問題によってナショナリズムが高揚したおかげで、普通なら絶対に無理なイラク派兵が強行できてしまったのに味をしめたのだ」「周辺諸国との関係が思いっきり悪くなってきているのには、ちゃんと理由があるのだ」と、米原氏は指摘する。

そして「これをさらに盛り上げようと、日本でも、周辺国への憎悪をかき立て、負けてなるものかとナショナリズムを煽るような言動を威勢よく吠えたてる政治家や評論家がテレビ画面に登場している」。これは出版でも状況は同じだが、おそらく昔なら書棚の奥にひっそりと置かれていたであろう「嫌韓」や「アンチ反日」を煽る本が、今や書店の一角を堂々と占めるようになっていることからも良く分かる。民族主義的・排外的な主張を売り物にした言説が、“商売”として成り立つまでに成長しているということだ。状況的には2年前よりも悪化しているといえる。

そして、このコラムの最後を占めるのが、「金正日もマッツァオ」という国民投票法案に関する批判的考察である。

さらに、それだけでは心許ないので、与党としては、「憲法改正国民投票法」を準備している。その草案の、隅々まで行き届いた用意周到さは実に見事だ。

たとえば、三二条によると、内閣は少なくとも二〇日前に国民投票の期日と憲法改正案を官報で告示しなくてはならないことになっている。要するに、国の根幹を決める憲法の内容を国民が十分に知り、考え抜き、論議する時間を与えないことだ。

あるいは、五四条。憲法改正に対する賛成投票数が有効投票総数の二分の一を超える場合は、当該憲法改正について国民の承認があったものとする、とある。有効投票数が有権者の三〇%ならば、わずか一五%の賛成で憲法が変えられるということだ。国是の根幹にかかわる票決は、普通、有権者数の過半数なのだが、それは無視。

そして一番のスグレモノは、六八条。何人も、国民投票に関し、その結果を予想する投票の経過又は結果を公表してはならない。七〇条の三。何人も、新聞又は雑誌に国民投票に関する報道及び評論を掲載し、又は掲載させることができない。第八五条。以上に反した場合は二年以下の禁固又は三○万円以下の罰金に処する、とある。投票内容について国民が議論したり考えたりする可能性を極力封殺するということだ。金正日もマッツァオだろう。


これだけ見ても、国民投票法案が「金正日もマッツァオ」のトンデモ法律だということが分かろうというものだが、若干補足すれば、31条では、「国民投票は、国会が日本国憲法の改正を発議した日から起算して六十日以後九十日以内において内閣が定める期日に行う」ことになっているが、「ただし、衆議院議員の総選挙又は参議院議員の通常選挙の期日その他の特定の期日に行う旨の国会の議決がある場合には、当該期日に行う」とされている。そして32条では、確かに改正案の告示は少なくとも20日前とされているのだが、実は選挙と同時に行われる場合はさらに短縮されることになっている。参院選と同時に実行された場合は17日前(2週間と3日)、衆院選の場合は12日前と、2週間にも満たない。この期間で憲法の国民的議論を行うこと自体、物理的(時間的)にまず不可能だろう。この法案が衆議院を通過すれば、最短で参議院選のある今年中に国会で国民投票が発議され、改憲される可能性がある。(訂正と追記:与党修正案によれば、「法案成立後3年間は衆参両院に設置する「憲法審査会」で憲法改正の審査、提出は行わない」(毎日新聞4/13)とのこと。不十分な情報のまま掲載してしまい、大変失礼いたしました。お詫びして訂正いたします。ただ、今すぐにでも戦争ができる憲法に改憲したいはずの改憲派が、敢えてこのような時間をもうけたことは、実に意味深です。3年4年の間(下記参照)には、テレビや雑誌など、今以上に改憲プロパガンダがあふれかえることは必至でしょう。つまり、時間をかけてでも改憲ムードを日本中に浸透させ、3年後の2009年公布から3年後の2011年には、確実に憲法の首をすげ替えようと意味であり、その意味では実に巧妙で、タチが悪い修正です(==;)。)
(更に追記:ますます覚書然としてきたが、どうやら成立から公布までの期間を含めると、実施は最短で4年となる模様。「国民投票法案が今国会で成立しても、施行は「公布から3年後」と定められている。さらに憲法改正案の審議や周知などに1年程度かかるため、国民投票の実施は2011年の秋以降となる。」(時事通信 4月13))

また、70条は「何人も、国民投票の結果に影響を及ぼす目的をもって新聞紙又は雑誌の編集その他経営を担当する者に対し、財産上の利益を供与し、又はその供与の申込み若しくは約束をして、当該新聞紙または雑誌に国民投票に関する報道及び評論を掲載させることができない。」「2 新聞紙又は雑誌の編集その他経営を担当する者は、前項の供与を受け、若しくは要求し、又は同項の申込みを承諾して、当該新聞紙又は雑誌に国民投票に関する報道及び評論を掲載することができない。」と、3も含めて国民の「知る権利」や「報道の自由」は完全否定。さらに、先頃提出された修正案では、投票年齢を18歳にまで引き下げるというが、これが54条を意識したお膳立てであることは、容易に想像がつく。テレビやインターネットの影響を受けやすい「子供」を「成人」扱いにすることで、有権者の裾野を広げて投票率を上げ、100%確実に平和憲法を葬り去ろうということだろう。投票方法(第37条)も、自署式から「賛成」「反対」のどちらかを○で囲むだけに修正されている。投票方式を極限まで簡単にすることで死票を限りなくゼロにし、有効票を増やそうという意図が透けて見える。

有無を言わさず平和憲法を確実に破壊することができるという意味において、改憲派にとってはまことに“画期的”な法案であることは間違いない。そして、憲法を失った代償の大いさと、ありふれた普通の日常の尊さに国民が気付いたときには、もはや「後のカーニバル」であることは言うまでもない。
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